俳句のユネスコ無形文化遺産登録を目指す動きに対する懸念

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「俳句をユネスコ世界無形文化遺産にしよう」という動きがあることについては、この記事を読んでいる方であればある程度はご存じであるかもしれない。
今のところそれほど表立った活動が見られないので、その行動の詳細については数少ない手がかりを頼りに把握するしかない。ここでは、その手がかりとして以下のリンクを提示しておく。

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に」俳句4団体会長 2017.1.26(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=nKvatEa3WKg

そこが聞きたい:世界の「HAIKU」 国際俳句交流協会会長・有馬朗人氏(毎日新聞2017年4月24日 東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20170424/ddm/004/070/186000c

まず、議論の端緒として、国際俳句交流協会のホームページにある「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」の設立趣意を引用する。
http://www.haiku-hia.com/special/unesco/kinenkouen201704.html

国内外に多くの愛好者を持つ俳句は、子どもから高齢者まで親しむことができる裾野の広い文学形式です。俳句を作ったり読んだりすることにより、季題・季語や季節感を意識し、気象や動植物などの自然に寄り添う日常生活が生まれます。自然と共生し身近なものに心を動かすことは、正に日本人の感性と美意識を体現するものと言えましょう。

各分野で技術革新や情報化が進み人と人との関係が希薄になりつつある中で、また世界各地に紛争が絶えない今日において、俳句を楽しむ習慣は、現代に生きるすべての人の生活にゆとりと人間らしさを呼び起こすものと考えます。

私たちは、俳句を人類が保全すべき文化的価値を持つものと考えます。その必要性を国内外に発信する方法のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されるよう取り組もうとするものです。

この設立趣意を見ると「なるほど、いいじゃないか」と思われる方も多いであろう。だが、注目すべきは、この動きにおける仕掛け人である有馬朗人氏の発言である。

上記リンクの動画から、登録されるべき理由として有馬氏が述べた内容の概要を以下に示す(動画では3分07秒から)。

  • 五-七-五という世界で一番短い詩である
  • 自然と共生する文学である
  • 自然を愛好していくことによって自然を大切にしていく→地球温暖化などに対して重要な役割を演ずるであろう
  • 短くて自然と共生する文学であることによって、誰でも書ける
  • 世界的にも俳句的な三行詩や漢俳などが増えており、短いがゆえに詩を作らなかった人も含めて俳句への関心が非常に広がっている
  • 短くて自然と共生する文学ということで、世界中に共感者が増えている
  • 世界に共感者が増えることによって、様々な人々がお互いに俳句をもって意思を疎通しあうことかできるようになってきている→ひいては世界平和に繋がる

この発言と先ほどの設立趣意から、無形文化遺産に登録せんとする対象は「日本の有季定型の俳句」であることが推測される。
だが、ご存じのとおり、俳句には無季の句もあれば、破調・自由律といった定型にとらわれない俳句も存在する。当然のように、動画ではその点について以下のような質問がなされている(40分20秒から)。

  • (無形文化遺産に登録したいという)俳句の概念は、日本語で書かれた俳句というイメージなのか、もっと幅広い概念なのか
  • 無季、自由律といったものも俳句として捉えて申請していくのか

この質問に対しての有馬氏の回答の概要は、以下のとおりであった。

  • 五-七-五を中心とした定型俳句である
  • その周辺の山頭火のような(自由律の)ものもある程度含まれるが、基本的には五-七-五を中心とした定型俳句
  • 無季も例外としてあるが、原則として五-七-五で季語季題を持つもの
  • そしてその周辺、無季や山頭火などが入ってくるが、基本は今述べたとおりである
  • 漢俳や欧米の三行詩があり、将来海外で俳句を説明していくために、概念を少し拡げて考えている
  • 原則として五七五の定型で季語季題を大切にする、自然と向き合って作っていくもの
  • それプラスその周辺の無季、非定型も包括していく、という考えである

「五-七-五の有季定型」という点については、毎日新聞の記事でも以下のように書かれている(新聞記事であるので有馬氏の発言そのままではない可能性もあるが、ここでは数少ない手がかりとして検討の材料とする)。

どこまでを対象とするのか。調整の結果、基本は「五・七・五の有季定型」。しかし、多少の例外として非定型、季語なしや、すでに海外で人気がある種田山頭火や尾崎放哉のような自由律も認めようと。

普段から有季定型の俳句を作っている方ならば「それでいいじゃないか」と思われるであろう。だが、懸念すべきは、いずれの発言においても無季や非定型、自由律は基本・原則から外れた「例外」とされている点である。はたして、このように内容や形式によって俳句というジャンルの中に「線引き」をすることは許されるのであろうか。

例えば、このような作品がある。

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく  金子兜太

この作品は無季かつ非定型であり、「有季定型」とは言い難い存在である。だが、少なくとも私の知る限り、この作品は著名な俳句として人口に膾炙している。では、この句は無形文化遺産として保護されるべき対象となるのか、ならないのか。
(なお、金子兜太氏は「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」の名誉顧問に名を連ねている。はたしてこの「例外」扱いをどう考えておられるのだろうか)

ここで、やや話が逸れるが、先だってユネスコ世界無形文化遺産として登録された「和食」について見てみたい。和食が無形文化遺産として登録された理由は、以下の記事が詳しい。

和食の真髄 ユネスコ世界無形文化遺産に登録された本当の理由
http://www.yakult.co.jp/healthist/226/img/pdf/p02_07.pdf

ここに書かれているように、登録されたのは和食という存在自体ではなく、和食をめぐる「文化」であることがわかる。そこに「和食とはこれこれこういうもので」という定義は見当たらない。もしも、「和食とは原則として懐石料理のことであり云々」といった定義を行なっていたとしたら、和食は無形文化遺産として登録されることはなかったかもしれない。だが、俳句はその定義づけを行なおうとしているのだ。

話を戻す。

この「例外」扱いと関連して疑問に思う点は、海外の様々な言語で作られている俳句(以下「HAIKU」と称する)との関係である。先に引用した設立趣意の冒頭に「国内外に多くの愛好者を持つ俳句は」とあるが、この時点で「日本の俳句が国外でも愛好されている」のか「HAIKUが国外でも愛好されている」のかは判然としない。だが、その後の文で「日本人の感性と美意識を体現するものと言えましょう」とあるので、この設立趣意で述べている「俳句」とは「日本の俳句」であるということがわかり、「日本の俳句が国外でも愛好されている」という印象を与えるようになっている。その一方で、動画の会見の中で有馬氏は「世界的にも俳句的な三行詩や漢俳などが増えており(中略)俳句への関心が非常に広がっている」と述べており、ここでいう「俳句」はHAIKUにすり替わっている。どうやら有馬氏をはじめとした推進協議会は「俳句=HAIKU」として、国外からも「日本の俳句」が支持されているような印象を与え、登録への呼び水にしたいという意図を持っているらしい。しかし、有馬氏が原則として掲げる「五-七-五の有季定型」はその形式を考えればわかるとおり、当然HAIKUとはイコールではない。推進協議会の意図と現実が矛盾しているのだ。このいわば“印象操作”によって生じている矛盾をどのように解決するのか、現段階では全く不明である。この矛盾の先には件の「例外」の問題が存在していることを考えると、大きな疑問と懸念を抱かざるを得ない。

なお、毎日新聞の記事で有馬氏は、「五-七-五の有季定型」という基本は俳句界での調整の結果である、としている。ここから推測すると、「俳句とはこれこれこういうものであるから無形文化遺産として登録されるべき」という演繹ではなく、「俳句を無形文化遺産として登録したい」という目的が前提であり、そのために俳句の基本を調整して定義した、ということが透けて見える。推進協議会には地方自治体も名を連ねており、今回の行動には政治的経済的効果を見込んだ下心も含まれているのであろう。その下心が不誠実であるなどと青臭いことを言うつもりはないが、そんな発想から俳句の基本とやらを定義するのは、はたして俳句にとって良いことなのだろうか。

「五-七-五の有季定型」に対して世界最短の詩とか自然との共生とかいう理念を持ち出すのであれば、「日本の伝統的な俳句」として無形文化遺産登録を申請する方が、よほどすっきりするのではあるまいか。そこを大きく「俳句」と言い出してしまうと、その中には歴史的にあまりに多くの要素が包含されてしまうために、いらぬ「調整」などが必要になってしまう。その上、HAIKUとの関係性まで擦り合わせねばならなくなる。ややこしくなる一方だ。もちろん、その形で申請するとなると、今度は国内の俳句団体間でのいざこざが発生するであろうから、それはそれで面倒なことなのだろうが。

ともあれ、以上のように「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」の行動については懸念すべき点があり、今後の動向を注視する必要があると考える。より多くの俳句実作者の方々が、この懸念点について考え、意見を持ってくれることを願うばかりである。

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