風呂に入っててふと考えたことを、とりあえず走り書き。
とりとめもないんで、その辺ご容赦下さい。
先日のアキバの通り魔事件で、被害者の写真をケータイで撮ってた一般の人たちを無神経だと非難する声があるようですけど、よく考えたら「何を今さら」なんですよね。
それって、結局今まで災害現場や事件・事故の現場で散々マスコミがやり続けてきたことと同じなんですから。
その非難する人たちは、どうして今までマスコミの取材姿勢に対して糾弾の声を上げてこなかったんでしょう。
それはなぜかといえば、私たちはそのマスコミの無神経な視点を通してしか事件や事故のことを知ることができないからです。相手の都合も顧みずズケズケと取材するマスコミがいてこそ、自分たちが朝のワイドショーやら何やらで一喜一憂できるということを暗黙のうちに了承しているからです。
要するに、私たちはマスコミというフィルタ越しに、被害者の写真を撮っていた人たちと同じことをしてきたんです。
その姿を(それこそマスコミを通じて)見聞きして非難するということは、自分が消極的に荷担してきた無神経な姿勢を鏡で見せつけられて逆ギレしているのと同じです。
あの時写真を撮っていた彼らは、ケータイという取材アイテムを持った「個人」という名のマスコミに過ぎません。彼らがやらなくても、もしあの瞬間あの場所にマスコミのカメラがあれば、迷うことなく被害者の映像を撮り続けたことでしょう。
昔むかし、1960年に社会党の浅沼委員長が刺殺された時、あの瞬間を間近で撮っていたカメラマンは「なぜあのとき暴漢にカメラを投げつけて止めなかったのか」と非難されたそうです。ですが、人は巨大なエントロピーを持った情報(いわゆる「スクープ」)を目の当たりにした時に、その発生を防ぐのではなく発生を見届け伝達することを選ぶものなのです。それがヒトを人間たり得ている好奇心の根源であり、「コミュニケーションする動物」たる人間の性なのです。
ケータイとブログがあれば、誰でも事件記者になれるこのご時世。マスコミによる冷たい情報伝達を容認し続けてきた私たちに、どうして彼らを責めることができるでしょう。彼らはマスコミと同じ存在であり、マスコミの視点を借りてテレビの前で神様となった私たちの化身だったのですから。
ついでに言うと、この件をつかまえて「アキバの人間は気持ちが悪い云々」などと批判する論調も筋違い。同じ事件がもし渋谷で起きたとしたら、もっとたくさんの人がケータイかざして写真を撮りまくったことでしょう。「アキバ」という、負の偏向をかけやすい背景で判断を歪めるべきではありません。
マスコミ化する個人の存在を、マスコミを通じて知る私たち。それを知ってこうしてブログに書くことで、さらにマスコミ化する私たち。まるで、合わせ鏡の中に生まれた無限回廊のようです。その回廊の奥には、いったい何があるのでしょう。
とりあえず私は、テレビのワイドショーや報道番組を一切見ないことで「神様」からの脱却を始めていきたいと思っています。
>テレビのワイドショーや報道番組を一切見ない
そんなことを言った矢先に大地震。
今は視聴率・売り上げ至上主義で、マスコミも視聴者も双方が双方を煽ったどうしようもない状況だけど、その状況を理解して、情報をきちんと精査できる判断力も必要かと、思うのですよ。
メディアリテラシーとか言うんだっけ、こういうの。
そういうのが自分の中できちんとしてれば、それでいいんじゃない?
オマケとして「撮る」ことについて。
被害者や関係者の痛みを考えたら息が止まる程苦しくなるけど、それでも伝わる事によって何かが先に進むならと祈りながら撮る、かな。
だから見る時も、相手が何を考えて撮ったのか、を考える。
非難されるのは覚悟の上、後悔はとうに済ませました。
でも、そんな事態にはなって欲しくない。
コレが自分の教わった「撮る」こと。そんな人間もいます。
訂正
>でも、そんな事態にはなって欲しくない。
でも、そんな事件は起きて欲しくない。
だなぁ。有事に備える仕事って結構コレはコレで嫌なんですよ。ホントに。
あと、普段のスタンスは「面白い事の面白さをいかに伝えるか」ですよ。へにょへにょですよ。
メディアリテラシーというのは、割と高度な情報処理能力だと思うんですよ。
それを身につけている人はまだまだ少ないと思うし、大多数の人は未だにメディアの情報に
振り回されているんではないでしょうか。
それに、メディアリテラシーの高い人の一部がその言葉を盾にして、偏向やノイズの多い
ソースを容認したりするケースもままあるので、注意は必要だと思います。
伝達される情報において、偏向もノイズも少ないに越したことはないのですから。
そういうわけで、今日の地震についても私はNHKのニュースを見るだけにしておきました。
正直、民放の報道番組はフィルタを強めにかけないと見ていられないので、疲れます。
(NHKにもフィルタは必要ですけど、まだ弱めで済むので)
>「撮る」ことについて
現場で取材する人たちが全てそういった高い理念を持っていればいいと思いますし、そうで
あってほしいと願っています。
でも、最終的に視聴者の耳目に届く状態になったものを見ていると、そういう理念が構成編集
の段階で無視されているような気がするんですよね。むしろ、現場の理念よりもその辺りの
方が問題なんでしょう、きっと。
どんなことでも伝えていくという使命を覚悟した人たちは、立派だと思います。
その真剣さが別の目的に利用されないことを願うばかりです。
まあ、その危険性ゆえにメディアリテラシーは必要ではあるんですけどね。
こんばんは。
独楽さんに同感しながら、おいらは携帯も持っていないし、仕事は「人間を管理」するというきわめてアナログな仕事なため、実はよくわからない。
よろしく!
>英ちゃんさん
よろしく、と言われましても(苦笑)
携帯の有無によらず、テレビや新聞やネットに触れる機会があるのなら、メディアリテラシー
はあらゆる人にとって必要な能力になってくると思いますから、気をつけておいた方がよいと
思います。
人を管理するのは、組織の中では最も重要なお仕事ですから、ぜひがんばって下さい。