先日、とあるご縁で鴇田智哉さんから第一句集『こゑふたつ』を頂戴しました。さっそく読んでみましたので、感想なぞ書いてみたいと思います。
全体を通して感じたのは、何とも言い難い浮遊感でした。句を構成しているのが主に名詞と動詞ときどき副詞で、形容詞がほとんど使われていないため、句のイメージが具体的な像を結びにくいのです。また、助詞の使い方もトリッキーで因果関係をつかみにくいこともあり、イメージとしては句を構成する品詞群が一定の空間に浮遊している漠然とした構造物に触れているような感覚でした。こう言ってしまうとあまり褒めた風に感じられないかもしれないのですが、一言で言うと「ぼんやりとした」句が多かったです。
ただ、トリッキーに思われた助詞の使い方は、何度か読んでみると取り合わせの応用になっているのだとわかります。「や」で切れている句は非常に少なくて、その代わりに「の」「に」「が」などで緩やかに切っている句が多いのです。そこに注意して読むと、ぼんやりとしていた句のイメージがある程度形を持って感じられるようになります。この辺りは、意図して行なっているのだとしたらかなりテクニカルなアプローチだと思います。帯文に
「俳句ってなんだろうと、鴇田智哉くんは自分に問いかけている。」
とあるのですが、もしかしたらこの句集は作者が俳句に対する問いかけとして行なった実験の成果なのかもしれません。
ですが、ちょっとだけ正直に言わせて頂くと、トリッキーな構成の割に読んでいて感じられるインパクトは弱かったです。私がインパクトの強い句が好きだからというのもあるのかもしれませんが、そういう点では若干物足りなさもありました。
(インパクトという点では、2年前に新聞で発表された『丘にゐた』の衝撃の方が大きかったです。)
以下、内藤独楽選。
逃水をちひさな人がとほりけり
ひとつめの螢が人につかまりぬ
秒針が振れて枯葦原に立つ
薄氷を割る笑はれてゐるやうに
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
むかうへと橋の架かつてゐる薄暑
耳澄んで野分の空のありにけり
凍ゆるむ夜はてのひらから眠る
花の夜や昔の人のおほきな目
干潟とは今を忘れてゆく模様
夏蝶を見るまに橋の朽ちにけり
言ひかけの口をひらけば桐が咲き
話すたび蜻蛉が空にあらはるる
時報とははなびらの舞ふ空を来る
電球の中とは寒きところかな
セロリよりしづかに息をしてをりぬ
以上です。