これといって根拠があるわけでもないのですが、飯島晴子にはほんのりとシンパシーを感じていたりします。
ならば、全句集を片っ端から読んで勉強してゆくべきところなのですが、いかんせん集中して読むだけの時間がなかなか取れません(全句集は持ってるんです、一応)。取り急ぎエッセンスのようなものでいいから読めないものかと常々思っていたのですが、先月ふらんす堂から『飯島晴子の百句』なるものが出たので、渡りに船と買ってみた次第です。
見開きの右のページに1句、左のページにはその句についての解説が書かれている、という実にわかりやすい形式で、これが100句分納められています。初期の有名な作<泉の底に一本の匙夏了る>から、最晩年の<葛の花来るなと言つたではないか>まで全般に渡って選句されていて、飯島晴子の業績を”つまみ食い”するには持って来いの一冊かと思います。
作品を読んでいて感じたのは、句に使われている言葉の鋭さ、とでも言いましょうか。言葉が持つイメージを磨きに磨いて、その髄を使っているという感じ。例えば<一月の畳ひかりて鯉衰ふ>などは、普通言うところの「意味」は通らないのですが、それぞれのパーツに存在する力があって唸らされるものがあります。この「鯉衰ふ」はすごいです。
一方、解説に関しては、著者の思い入れが若干強過ぎるのか、ややウェット気味に流れる傾向があります。あと、自句自解をベースに読み解いているためか句のイメージを固めてきている風があって、私が読んで感じたイメージと違う時は「そうかぁ?」と疑問に思うこともしばしばありました。まあ、人によって多様な解釈があるのは当然なので、それはさほど問題ではないのですが。
ともあれ、わかりやすい解説も手伝って短時間でさっくり読めるので、「飯島晴子ってどんなんだろう」と思う方にはちょうどいい手がかりになるかと思います。ええ、あんまり読みやすいんで、同じシリーズの『藤田湘子の百句』まで買っちゃったくらいですから(笑)。ふらんす堂、いい仕事してますね。