大晦日8句&年末のご挨拶

今年も残すところあと5時間あまりとなってまいりました。

いやまあ、暦なんて人間の決めたことに過ぎませんから、本当は普通の冬の一日でしかないんですけどね。人間というものは、何か区切りをつけていかないと生きていけない動物のようなので、こういう日も必要なのだと思います。まあ、年末年始にまとまった休みが取れるので、宮仕えにはありがたいことではあるのですが。

それはさておき、大晦日で8句です。

誰彼も読点を打つ大晦日

大晦日明日から一錠増やす

大年の静止軌道に異常なし

大年やアデリーペンギン帰らず

パソコン死して大つごもりとなりにけり

続落す大つごもりの片隅に

晦日蕎麦死地へと還る人もあり

概念を外して晦日蕎麦すする

せっかくですので、少し今年を振り返ってみます。

今年もいろいろなことがありましたが、個人的には家を買ったことと、肺塞栓症で死にかけたことが大きな出来事でした。家に関しては、まあ我ながら思い切ったことをしたもんだと感心しております。恐らく一生かけて借金を返すことになるでしょうけど、満足のいく買い物だったので、良しとします。肺塞栓症については、原因が不摂生とかではなかっただけに今ひとつ納得できていないのですが、過ぎたことなのでしかたありません。来年は大病しないように気をつけたいと思います。

俳句関係もいろいろありましたが、自分自身では総合的に見て一歩前進できたかな、という感じです。今年築いたものを足がかりに、来年はもう一歩進めるようになりたいと思っています。とりあえず、何かひとつ肩書きが欲しいので(笑)、少し野心的に行きたいです。

今年お世話になった皆様方、本当にありがとうございました。来年もまたどうぞよろしくお願い致します。

それでは、よいお年を。

饒舌な俳句はいけませんか?

かの文豪アーネスト・ヘミングウェイが作ったという、わずか6つの単語からなる小説があります。それは、

“For sale: baby shoes, never worn.”

というものです。和訳すれば「売ります:赤ちゃんの靴、未使用」となります。(詳しくはこちらの記事を参照のこと)

このわずかな言葉の中には様々な背景が折り畳まれていて、それらを想像力で展開していくとどんどん世界が広がっていきます。私はこういう、わずかな言葉で読み手の想像を掻き立てる仕掛けが大好きなのです。

続きを読む “饒舌な俳句はいけませんか?”

メモ書き:言葉のイメージと伝達力

昨日参加した句会の二次会で、中村安伸さんと「言語ネットワーク空間」についてお話しした際に聞いた説について、さっくりとメモ書き。

「言葉は重ねることで伝達力が強くなるがイメージは狭くなる」

「俳句は言葉が少ない分伝達力が劣るが、イメージの拡がりは大きい」

なるほど、たしかにそのとおり。散文では描写を重ねることによって情景がより詳細に伝わりますが、イメージできる幅は狭くなります。

その点俳句は言葉が少ない分イメージの拡がりが大きいですが、その分情景の伝達は曖昧になる、というわけですね。

この説は今後の仮説の展開に取り入れる必要がありそうです。何となく展開は見えているので、正月休みにでも考えてまとめてみたいと思います。

どうもありがとうございました。>中村さん

冬至で6句

冬至ですね。寒いですね。うちはかぼちゃを食べました。

冬至の句、本当はもっと作りたかったんですけど、仕事が忙しかったりCDヘビロテしたりとかで時間が無くなってしまいました。とほい。

というわけで、お約束通り(誰が覚えているか知りませんが)冬至の句です。

日暮れゆく冬至の街の隙間かな

冬至粥母のメールの長々と

仰ぎ見し時空に浮かぶ冬至の湯

冬至風呂ミスを流してしまいけり

街灯が闇を殺める冬至かな

暗き川を渡りて終わる冬至かな

お粗末様でした。

俳句で略称を使うということ(あるいは蒸し返される論争)

会社からの帰り道で句を練っていたところ、ふと「確変」という言葉を使ってみたくなりました。それから順調に思考がまとまって一句出来たのですが、そこでふと思ったのです。

この俳句、「確変」という言葉を知らない人には全然響かないだろうなぁ、と。

続きを読む “俳句で略称を使うということ(あるいは蒸し返される論争)”

鴇田智哉さんの俳句に関する仮説

前回、私が俳句について考えていることを説明するために「言語ネットワーク空間」というものについて定義づけを行ないました。

今回は、この「言語ネットワーク空間」説を用いて、鴇田智哉さんの俳句について仮説を立ててみたいと思います。先日のトークイベントでは示唆に富む発言が多々ありましたが、それらについても併せて説明してみるつもりです。

今回の仮説のキーワードは、鴇田さんが話されていた「言葉の分解」です。

 

続きを読む “鴇田智哉さんの俳句に関する仮説”

退屈な前書き:「言語ネットワーク空間」とは

先週の土曜日(12月13日)、下北沢で開催された「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ 『凧と円柱』刊行記念」というトークイベントを観に行きました。青木亮人さん、鴇田智哉さん、田島健一さん、宮本佳世乃さんという錚々たるメンバーが揃い、鴇田さんの句集『凧と円柱』の話題をメインに俳句のいろいろについて語り合う、というイベントでした。詳しくはこちらをご参照下さい

で、このトークの内容というのが実に興味深いものでして、特に『凧と円柱』についての話は、私が俳句について日頃考えていることを明確に立証してくれたので、目から鱗がぼろぼろと落ちていくような思いで聴いていました。

じゃあ、「私が俳句について日頃考えていること」って何よ、となるわけですが、これを説明しようとしたところ、実はかなり細かな定義づけから始めなければならないことに気がつきまして。こんな荒唐無稽な話、誰にもわかってもらえないんじゃなかろうかと思いつつも、どうにか文章にまとめてみた次第です。

以下、件のトークイベントで得られた収穫について語るためにはどうしても必要な、長ったらしい「前書き」です。文系ではない頭で作った話なので、突っ込みどころ満載だと思われますが、もしご興味がおありでしたらご覧下さい。面白くなかったらごめんなさい。

 

続きを読む “退屈な前書き:「言語ネットワーク空間」とは”

仁義なき戦い20句

またひとつ歳をとってしまいました。さらばアラフォー(遠い目)

それはさておき。

先日、菅原文太さんがお亡くなりになりました。「仁義なき戦い」シリーズの大ファンである私としましても、実に残念であります。改めて哀悼の意を表する次第です。

というわけで、追悼の意味も込めまして、「仁義なき戦い」で20句、参ります。

仁義なき戦い時に落葉焚く

焼芋屋相打つ仁義なき戦い

闇汁の仁義なき戦いの闇

仁義なき戦い終えて山眠る

仁義なき戦い赤きちゃんちゃんこ

寒紅を引いて仁義なき戦い

冬薔薇胸に仁義なき戦い

聖夜劇暗転仁義なき戦い

仁義なき戦い告ぐる冬の雷

雪掻きを巡る仁義なき戦い

仁義なき戦いという帰り花

仁義なき戦いやがて白鳥に

寒牡丹散るや仁義なき戦い

血煙に咳く仁義なき戦い

しぐるるや捨て犬の仁義なき戦い

熊眠る山の仁義なき戦い

仁義なき戦いと化す年の市

仁義なき戦いとして社会鍋

仁義なき戦いきっかけは海鼠

仁義なき戦いそして餅搗きへ

一句でも受けて頂ければ幸い。

凩で7句

先日病院に行った時、待ち時間がけっこうあったのでまた俳句を練ることにしました。

お題は「凩(こがらし)」。

私は、小学生(中学生?)の時に教科書で読んだ「海に出て木枯帰るところなし 山口誓子」をきっかけに俳句を始めたので、凩という季語にはちょっとコンプレックスじみたものを感じているのです。そのせいか、未だに凩でいい句をものにできていません。そういう意味で、今回のお題はある意味挑戦でした。

今週は仕事が忙しすぎてあまり推敲とかできなかったので、あまり自信はありませんが。

順番を待って午後五時の凩

凩の終着駅に一人きり

凩の途方に暮るる無人駅

諦めて木枯らし窓を揺らしけり

木枯らしや腕奪われしヴィーナス像

地下街に凩果つる爪の跡

事実上木枯らしとして暮らしおり

お粗末さまでした。

三島忌7句

すでに日付が変わってしまいましたが、昨日は三島由紀夫忌だったそうで。

というわけで、性懲りもなく三島忌で作ってみました。

三島忌の地球に雨の降りしきる

つぶやきが海を越えたる三島の忌

三島忌やスマートフォンという奈落

三島忌に星を掲ぐる聖樹かな

ローストビーフ切れば肉汁三島の忌

三島忌やヘイトスピーチ鳴り止まず

ひとが皆神と成り果て三島の忌

おやすみなさい。