というわけで、前記事から関連して、佐藤文香さんの『君に目があり見開かれ』を読んでの私なりの感想を述べてみたいと思います。
まず、「オルガン」の座談会でもキーポイントとなっていた、表紙にある「レンアイ句集」という言葉。オルガンの4人はこの「レンアイ」を「(人間同士における)恋愛」というスタンスで語っていましたが、私はそれとは違う捉え方をしました。
というわけで、前記事から関連して、佐藤文香さんの『君に目があり見開かれ』を読んでの私なりの感想を述べてみたいと思います。
まず、「オルガン」の座談会でもキーポイントとなっていた、表紙にある「レンアイ句集」という言葉。オルガンの4人はこの「レンアイ」を「(人間同士における)恋愛」というスタンスで語っていましたが、私はそれとは違う捉え方をしました。
すっかり出遅れた感もありますが、昨夜あまり話せなかったのでここでまとめておきます。
まず、各作品から。
細密に鉄路かよへり春の星 生駒大祐
鳥たちのうつけの春をハトロン紙
記号うつくし空港の通路を蝶 田島健一
あかときの芭蕉がふたりいる柳
うららかに暮らした跡のあるほとり 鴇田智哉
アラームアラーム青葉若葉のめくれ来よ
クリアそれから川べりの芽吹かな 宮本佳世乃
百千鳥喇叭笑つて走り抜く
で、記事としては4人の座談会形式で「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」というものがありました。この記事は、4人それぞれの個性が見えてきて、非常に面白かったです。
深入りは避けつつ、素直な感想を述べる生駒さん。
各論から始まって、より普遍的な批評を試みる田島さん。
「俳句は」「句集は」という視点から高い精度で的確にコメントしていく鴇田さん。
少し距離を置いたところから鋭く突っ込む宮本さん。
うん、非常に面白かったです。
私も佐藤さんの句集を読みましたけど、4人とはすこし違う印象を抱いたので、その辺の差異も含めて、楽しませてもらいました。
どう違ったのかは、ここで詳しく書くと「オルガン」の内容から離れてしまうので、別の記事にて。
聞いた話では、すでに次号の準備も進められているそうなので、今後に期待したいと思います。
「言葉における意味的距離とイメージ的距離を混同してはならない」
「意味とイメージは次元が異なるものだから、結びつけてはならない」
「俯瞰した事実と客観的な虚構 このふたつで僕は世界をつくる」(小倉久佳音画制作所)
以下、今朝の私のツイートです。Twitterの流れの中で見失わないように、こちらのブログにも書いておきます。
おはようございます。
要するに、自分は俳句そのものではなく「俳句的な飛躍」とか「俳句的な表現」に憧れを抱いていたのだな、と。
そうではなく、一句として完成された俳句を作ることを目指す。そうすれば、自ずと表現はついてくる。
多分、そういうことなのかな、と思う朝。
何と言うか、もがいていた理由がようやっとはっきりしてきたような気がします。飛躍とか表現とか、そういうものを意識するあまり、俳句として完成させることを怠っていたのだと思うのです。今さらこんなことに気づくというのも、実に恥ずかしい話ですが。自分はいったい何年俳句をやってきたのかと(苦笑)。
とまあ、そういうわけで、これからは表現にこだわらずに俳句としての完成度を高めることに気を配っていきたいと思います。まずそれができるようになって、それからいろいろ工夫をしていくということで。
まるで初心者に戻ったような気分ですが、今まで考えてきたことは決して無駄にはならないと信じて、また俳句を始めていきたいと思います。
それでわでわ。
立春を過ぎたとはいえ、関東地方では雪の降る寒さ。まだまだ「春浅し」といったところでしょうか。
最近俳句関係で何をやっているかと言いますと、思うところあって基本的な写生からやり直しています。いわゆる「十二音技法」も辞さず、本当に平明なところから勉強し直しです。
と言いますのも、先日行った句会で席題が出た際に、まともな句が全く作れなかったことに内心愕然と致しまして。瞬発力の無さもさることながら、感覚だけで作句している自分の姿勢自体に問題があるのではないかと思い、足下から見直していくことにした次第です。
と言うか、最近頭でっかちになり過ぎていたのかなぁ、とも。理屈ばかりが先行してしまって、実力が全く伴っていないことにようやく気がついた、という感じです。
そういうわけで、今は身を慎んで修行の日々を送っております。日常での写生の訓練をしたり、手元にある句集を読んで技巧を学んだり等々。
今テキスト代わりに読んでいるのは、先日復刊された佐藤文香さんの句集「海藻標本」です。いわゆる「俳句の骨法」と言いましょうか、そういうものが無理なく表されているような感じがして、お手本として学ぶところの多い句集だと思います。ちなみにこの「海藻標本」、初版が2008年6月となっていまして、時期的には私が俳句を始めたばかりの頃に編まれたもののようです。それから約7年、遠回りして初心に戻った今の自分にとっては、ある意味運命的(?)な句集なのかもしれません。
といったところで、またここで作品を発表できるようになるのはまだ先のことになりそうです。もうちょっと勉強して、多少はましになった作品を出せるようになりたいと思っています。
それでは、また。
結社誌が届きました。
さっそく主宰選をチェックしたんですが、総没。まあ、今に始まったことじゃないんですが。
今回は今までと少し毛色の違う作品を出してみたんで、どうかなー、と多少期待もしていたんですけど、どうやらお気に召さなかったご様子。
そういうわけなんで、悔しいから(笑)ここでさらします。
題: 旅路
着膨れて帰らぬ家を離れたり
凍星のあまた匂える丘の上
六十兆の細胞凍つる旅路かな
冬薔薇折れし翼の痕に咲く
たましいの器は脆し冬銀河
巡礼を終えて枯野に穴を掘る
投句したのは去年11月の下旬なので、約2ヶ月前の作品なんですが……自分で言うのも何ですけど、かなり気負ってますね。ちょっと力入り過ぎというか、劇的効果狙い過ぎというか……ええ、ぶっちゃけ中二病的です、はい(苦笑)。
前にも書きましたが、私としてはこういう「濃い」句は嫌いじゃないんです。でも、どうやら俳句世間的にはあまり多数派ではない(むしろ孤立している?)ようなので、ちょっとこの方向はしばらく封印しておいた方がいいのかな、とも思っています。むう(あまり納得していない様子で)。
まあ、結社誌ばかりが俳句の基準ではないですから、ほどほどに承認欲求を満たせる程度にやっていきたいです。
いやはや。
とあるところに出句するために今朝10時から作り始めて、悩むこと半日以上。ようやくそれらしい句が出来ました。たったの5句(実際は7句でしたが自主的に2句は没)。
何というか、かなり疲れました。まだ新方式に慣れていないので、できる速度が遅いこと遅いこと。でも、何となく「それ」っぽい句が作れるようになったので、まあ良しとします。
……とはいえ、所詮はまだ猿真似でしかないんです。ここからどうやって独自性を出していくかが問題。とにかく、今は読んで作って「俳句脳」を育てること。ちょっと疲れますけど、ここが正念場だと思ってがんばろうと思っています。
では、おやすみなさい。
ほとんどメモ書きですが。
また考えが変わるかもしれませんが、今のところこういう考え方で進んでいます。
何というか、最近俳句関係でバタバタして恥をさらしまくった気がしています。いや、多分間違いなくそうなんでしょう。お見苦しい限りで、申し訳ありませんでした。
ですが、いろいろ足掻いたおかげでしょうか、今日会社で残業していたら何となく自分なりの俳句の作り方が見えてきました(仕事しろよ>自分)。うまく行くのかどうかはまだわかりませんが、しばらくこの方法で続けてみようと思っています。
まだ自信がないのでここで作品を公開するのはしばらく控えますが、自分なりに納得のいく作品ができるようになったら、また少しずつ出していくつもりです。
こういう時、師弟関係というのがあれば心強いんだろうな、なんてことも思います。もっとも、かの岡本太郎に言わせれば「誰かの弟子になろうなんてやつは、それだけで芸術家失格」なのだそうですが……。
というわけで、しばらくの間おとなしく自己研鑽に励みます。
それでわでわ。
恥ずかしいから、こっそりと。
侵略に失敗して羽根布団は
唐突に指差す鴨という失踪
平和には根深汁何かが足りぬ
水涸れて何度でも全身脱毛
冬虹や宝くじこんなにも罠
寒四郎過剰防衛と詰られ
寒鴉ゆえ転生を遂げにけり
絶望の手触りとして寒卵
与えられしは鯨または祝福
からからと家路冬の月何処まで
失礼しました。こそこそ。