「彼方からの手紙 vol.9」を鑑賞する

山田露結さんと宮本佳世乃さんが発行しているネットプリント「彼方からの手紙」、今回はゲストに喪字男さんを迎えての第9号とのことで、遅まきながら落手しました。それぞれの俳句8句+ごく短いエッセイ。こういう小作品を気軽に楽しめるのがネットプリントのいいところだと思います。もっとも、読む方は気楽ですが、デザインやレイアウト等々がしっかりしているだけに、作る側のご苦労が偲ばれます。

では、少しですが感想などを。

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ちょっとリミッターを外してみる実験で13句

さてさて。

今回はタイトルにもありますとおり、自分の中のリミッター(と思われるもの)を外して作った俳句を並べてみました。

かなり実験的な作品になったので、常にも増してお目汚しとなるやもしれません。でも自分のブログですから、好きにやらせて頂きます。石を投げられるのは覚悟の上です。

この記事にたどり着いたのが運の尽き、よろしければ最後までお付き合いください。では参ります。

空き缶やきっと明日は冬雲雀

夢に見し根深汁平和のごとく

マツコ・デラックスや隣の冬銀河

寒に入る遥かに全身脱毛

冬虹の罠こんなにも宝くじ

寒の水踊れああ過剰防衛

転生の回路裂く寒鴉ゆえ

室咲の無知や無常と結ばれて

住職や愛の闇汁し放題

絶望は時に寒卵のかたち

冬旱もうそれ以上柿の種

幾千の星鯨または祝福

カラカラと家路冬の月何処まで

……いかがでしょうか。

自分で言うのも何ですが、かなり無茶なことをやりました。ですが、作っていてかなり楽しかったのも事実です。

とはいえ、独りよがりでは何の意味もありませんので、もしよろしければこういう方向性についてご意見など頂けますと大変うれしく思います。この記事のコメント欄またはTwitterのアカウントの方までお寄せ下さい。

何のリアクションも得られないと正直途方に暮れてしまいますので、バカをひとり助けると思って、ぜひご協力下さい。何とぞよろしくお願い致します。

寒の入で7句

今日は小寒です。

では小寒で……と思ったんですが、どうも「小」だとインパクトに欠けるんですな、これが。「大寒」に比べると個性が弱いというか何というか。だから、何でも付いてしまいそうな気がして、これはという句を作りにくいのです。「小雪」の時も同じような感じがして、無理して作ったら結局グダグダに終わってしまったという悲しい記憶が(泣)。

というわけで、今日は「小寒」というより「寒の入」という点に注目して作ってみました。これなら季感がくっきり出ますから、作りやすいですね(一人で納得)。あいかわらず即席のお目汚しですが、ご覧下さい。

肉球の温度愛しき寒の入

寒に入る試合放棄もできぬまま

寒に入るカーブを描き急行は

結ぶものほどかれしもの寒に入る

いつからかマナーモードの寒の入

眠る場所見つけて寒に入りにけり

寒の入地下鉄はハスキーボイス

うーん、まだまだ「飛距離」が足りませんよね。どうすれば伸びるんでしょうか、ってまるでゴルフみたいですが。まあ、今はこんな感じです。失礼しました。

三日で6句

どうも、あいかわらず低調ですが、今年も性懲りも無く書きます。

以下の6句、今年の連休最後の日である「四日」(つまり今日)で作っていたんですけど、本来四日というと三が日明けのイメージが強いので、本来の連休最後となる「三日」に置き換えて作ってみました。

見回せば時計ばかりの三日かな

新幹線重たく通過して三日

あとがきのごとき三日を過ごしけり

山鳩は山へ帰りし三日かな

諦めは死ぬことに似て三日かな

日めくりの三日の次も三日たれ

以上。

にしても、時候の句は作りづらいものですね。飛躍させる距離感が掴みづらいとでも言いましょうか。あまり関係の無いことを書くと季が動いてしまうし、さりとて季語に沿おうとすると今度は付きすぎるし。まあ、多少関係性が無くても言い切ってしまった者の勝ち、みたいなところもあるのであまり気にするべきではないのかもしれませんが。難しいものです。

って、前にもどこかで同じことを書いたような。まあいいや。

新年のご挨拶&反省

新年あけましておめでとうございます。

このブログ、どれだけ読まれているかわかりませんが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、正月といえば私的風物詩と化しております、NHKラジオ第1の「夜はぷちぷちケータイ俳句」。今年は2日の夜、つまりつい先ほど放送されました。兼題は「みかん」「オトナ(漢字もあり」、席題は「歌留多」「告白」。兼題には6句、席題には4句出したのですが……結果は1句入選したのみ。とほほな結果でございました。その一方で、名のある方々はしっかりと結果を出されていて、一層とほほな気分でございます。

自己分析するに、兼題では受けを狙い過ぎ、席題では掘り下げが甘い、というところです。

これは正直、えらそうな理論書いてる場合じゃないだろうと。もう一度足下を見直して、やり直す必要があるように思っております。特に、私の句は当たり外れが大きいので、これからはもうちょっと打率を上げられるようになりたいです。

まあ、正月早々よいお灸を据えて頂いたと思って、これからも精進致します。とほい。

大晦日8句&年末のご挨拶

今年も残すところあと5時間あまりとなってまいりました。

いやまあ、暦なんて人間の決めたことに過ぎませんから、本当は普通の冬の一日でしかないんですけどね。人間というものは、何か区切りをつけていかないと生きていけない動物のようなので、こういう日も必要なのだと思います。まあ、年末年始にまとまった休みが取れるので、宮仕えにはありがたいことではあるのですが。

それはさておき、大晦日で8句です。

誰彼も読点を打つ大晦日

大晦日明日から一錠増やす

大年の静止軌道に異常なし

大年やアデリーペンギン帰らず

パソコン死して大つごもりとなりにけり

続落す大つごもりの片隅に

晦日蕎麦死地へと還る人もあり

概念を外して晦日蕎麦すする

せっかくですので、少し今年を振り返ってみます。

今年もいろいろなことがありましたが、個人的には家を買ったことと、肺塞栓症で死にかけたことが大きな出来事でした。家に関しては、まあ我ながら思い切ったことをしたもんだと感心しております。恐らく一生かけて借金を返すことになるでしょうけど、満足のいく買い物だったので、良しとします。肺塞栓症については、原因が不摂生とかではなかっただけに今ひとつ納得できていないのですが、過ぎたことなのでしかたありません。来年は大病しないように気をつけたいと思います。

俳句関係もいろいろありましたが、自分自身では総合的に見て一歩前進できたかな、という感じです。今年築いたものを足がかりに、来年はもう一歩進めるようになりたいと思っています。とりあえず、何かひとつ肩書きが欲しいので(笑)、少し野心的に行きたいです。

今年お世話になった皆様方、本当にありがとうございました。来年もまたどうぞよろしくお願い致します。

それでは、よいお年を。

饒舌な俳句はいけませんか?

かの文豪アーネスト・ヘミングウェイが作ったという、わずか6つの単語からなる小説があります。それは、

“For sale: baby shoes, never worn.”

というものです。和訳すれば「売ります:赤ちゃんの靴、未使用」となります。(詳しくはこちらの記事を参照のこと)

このわずかな言葉の中には様々な背景が折り畳まれていて、それらを想像力で展開していくとどんどん世界が広がっていきます。私はこういう、わずかな言葉で読み手の想像を掻き立てる仕掛けが大好きなのです。

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メモ書き:言葉のイメージと伝達力

昨日参加した句会の二次会で、中村安伸さんと「言語ネットワーク空間」についてお話しした際に聞いた説について、さっくりとメモ書き。

「言葉は重ねることで伝達力が強くなるがイメージは狭くなる」

「俳句は言葉が少ない分伝達力が劣るが、イメージの拡がりは大きい」

なるほど、たしかにそのとおり。散文では描写を重ねることによって情景がより詳細に伝わりますが、イメージできる幅は狭くなります。

その点俳句は言葉が少ない分イメージの拡がりが大きいですが、その分情景の伝達は曖昧になる、というわけですね。

この説は今後の仮説の展開に取り入れる必要がありそうです。何となく展開は見えているので、正月休みにでも考えてまとめてみたいと思います。

どうもありがとうございました。>中村さん

冬至で6句

冬至ですね。寒いですね。うちはかぼちゃを食べました。

冬至の句、本当はもっと作りたかったんですけど、仕事が忙しかったりCDヘビロテしたりとかで時間が無くなってしまいました。とほい。

というわけで、お約束通り(誰が覚えているか知りませんが)冬至の句です。

日暮れゆく冬至の街の隙間かな

冬至粥母のメールの長々と

仰ぎ見し時空に浮かぶ冬至の湯

冬至風呂ミスを流してしまいけり

街灯が闇を殺める冬至かな

暗き川を渡りて終わる冬至かな

お粗末様でした。

俳句で略称を使うということ(あるいは蒸し返される論争)

会社からの帰り道で句を練っていたところ、ふと「確変」という言葉を使ってみたくなりました。それから順調に思考がまとまって一句出来たのですが、そこでふと思ったのです。

この俳句、「確変」という言葉を知らない人には全然響かないだろうなぁ、と。

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