ハルカ=シラハマの手元を通り過ぎていった、数限りない悲劇のほんの一つ。
 知る人ぞ知るAnother Episodeが、今解禁。


「フェリシティー」にある「注文のいえる贈り物店」では、オーダーメイドで作る、シルバーの指輪が人気を博している。
 その外側には、イタリア語やスペイン語の洒落た単語が彫られ、内側に、アルファベット大文字20字以内で、好きな言葉を刻むことができる。
 ……これは、その指輪にまつわる、小さな物語。

 

 ホーク=シンメイとマリーの結婚は、まさしく電撃的だった。
 付き合っている、という噂も流れないうちに、いきなりウエディングドレス姿が、イントラネットにアップされていたのだ。
 ――今、マリーは、職場で少し仕事の手を休め、左手の薬指にはめた指輪を、頬を
緩めながら眺めている……
「外惑星連合宇宙軍電算室第6電算課」:それが彼女の所属である。電算室は、給与計算からパソコンのメンテナンスまで、コンピューターに関するあらゆる事項を統括しているが、その中でも第6課は、戦況の全てを入力・分析して、有効な戦略を上層部へ提供する、要衝中の要衝なのだ。コン・ヒューマンに勝つために、コンピューターを駆使するセクション。
 その彼女に、別のやや小柄な女性が近付いてきて、気さくな声をかけた。
「ねえマリー、このペットボトルのコーヒー、量が多過ぎるから、2人で分けて飲まない?」
 彼女の名はピリカ=キタモシリ、第6課の先輩だ。豊かに波うつみどりの黒髪と、太い眉毛に代表される、やや“濃い目”の顔立ちは、「Ainu」と呼ばれる極東の少数民族の血を、強く引いていることを物語っている。
「あ、ちょうど喉渇いてたんですよ~。ありがとーございますぅ!」
「そりゃあ何よりだわ」
 と、笑顔でウインクを返したピリカの視線が、マリーの指輪に留まった。
“cara”と刻まれたシルバーの指輪には、プラチナのような華やかさはないけれど、艶消し仕上げの表面が、優しく清らかな、白い輝きを放っている……
「素敵ね、それ。何て書いてあるの? 『きゃら』?」
「『カーラ』、です!」
 マリーは、指輪に負けないぐらいに輝く笑顔を見せた。
「イタリア語で、『愛しい娘』って意味なんですよ。――ピリカさん、『フェリシティー』は知ってますよね」
「あぁ、あの若い女のコ以外お断りの、ショッピングストリート?」
「ええ。ホークさん1人だけであそこへ入ってくのって、きっとものすごく勇気が要ったと思うんですよ。それでも、『君が好きそうだと思って』って、この指輪を……
 内側に、『BE TOGETHER EVERMORE』=『ずっと一緒にいよう』って彫ってあるんです。それがちょうど、私の左薬指にピッタリだったから、“この人しかいない!!”とビビッときて、私も『caro』――『愛しい彼』の指輪に、同じメッセージを刻んで贈り返して、そのまま結婚しちゃったんです」
「はいはい、ごちそうさま」
 マリーのはにかんだ表情に、ピリカは肩をすくめて苦笑した。(子供を作らずに一生働いていくつもりの私には、こんな笑顔は永遠にできないだろうな)、と、内心で少し寂しい思いをして……
 それから2人は、マグカップに注ぎ分けたコーヒーを一緒に飲みながら、数分間談笑したが――別れ際、ピリカの脳裏に、暗い予感が一瞬走り、つい彼女は、マリーに向かってこう口にしてしまった。
「でも、『ずっと一緒にいよう』なんて、本当に大丈夫なのかしら。こんなこといいたくないけど――彼、機動兵器のパイロットなんでしょう……?」
 マリーは、左手の指輪を右手でぎゅっと握り締めて、こう答えた。
「――えぇ。でも、この言霊みたいなものが、彼を守ってくれるんじゃないかって、そう、思ってるんです……」
 そういって小さく微笑んだ、彼女の瞳の奥底に、何者かにすがるような光が宿っているのが、ピリカには見えた。
 
 ――ピリカの予感は、それからひと月と経たない内に、最悪の形で的中してしまった。
 ホークはあまりにも突然に逝った、マリーの体内に、新たな命を宿すことすらできぬままに……
 彼が所属している編隊が、偵察飛行中に、敵機動兵器群の奇襲を受けたのだ。僚機が逃げまどう中、彼はたった1人だけ、囮となって敵機の大群に突入していった。
 その間に前線基地は態勢を立て直し、敵の侵攻を退けることができたのだが、ホークの機体は粉微塵に破壊され、遺体も遺品も何一つ回収できなかった。
 一縷の望みをかけていた、マリーとホークの実母・ヤヨイの許へもたらされたのは、2階級特進の階級章と、世間相場の弔慰金だけだった――…
 
 それから、1週間の忌引の後、職場に復帰したマリーは、以前よりもさらに増して、仕事に打ち込んだ。最終決戦を間近に控えているため、第6課全体が修羅場になりつつあったが、その中でも彼女の仕事ぶりは、「何かに憑かれたよう」、と表現したくなるほどまでに、常軌を逸していた。
 とある日の深夜――帰宅間際のピリカは、マリーにこう語った。
「あ――、私もお頭回んないから、ギブアップ! また明日――てかもう“今日”か、一度寝てから仕切り直すわ。……マリー、いくら何でも、そんなに根詰めたら体に毒だわ。仕事のやり過ぎで体調崩して、仕事ができなくなっちゃったら、本末転倒よ? ――自分自身を守れなきゃあ、他の誰かを守るなんてできない、ってコトだけは、忘れないでね」
「ううん、私、体だけは頑丈にできてますから、大丈夫です。それに……仕事してた方が、悲しいこと忘れられる――」
 もうマリーに話す言葉を思い付かず、そのままピリカが退室した直後、マリーは急いで口の中に頓服を含んだ。
 大丈夫なんかじゃない。目も肩も辛くてたまらないし、心臓がずっと締め付けられるように痛い。
 それでも彼女を、狂ったように仕事へと突き動かす、一つの想い。
(どうして私は、守れなかったの……?)
 嗚呼、ホーク――私があの空域の危険性を見抜けていれば、あなたは死なずに済んだかもしれないのに。
 左手の指輪をギュウと握り締め、血が噴き出さんばかりに、唇を噛みしめる。
(――どうして私は、守れなかったの!!)
 指輪に込められた愛も、愛しい人ももう帰らない。その後悔と悲しみとが裏返って、彼女の仕事のエネルギーとなっていた。
 これ以上誰も殺させない、何も奪わせない。「オペレーション・レイフォース」、この命に換えてでも、人類の命を守ってみせる。自分のような思いをする人が、これ以上増えるのは、もうたくさんだ!
 瞳に強い光を宿し、鬼気迫る形相で、マリーは再びディスプレイに向かう。
(どうか見ていて下さい、あなた……!!)
 
 M.C.0185 9/21――ついに、電算室第6電算課は、オペレーション・レイフォースに関する、全データをまとめ上げた。
「諸君、ご苦労だった。我々の最善は尽くし終えた。後は――前線の方々の働きに委ねるばかりだ」と課長が宣言し、課員全員が口々に「お疲れ様でした~……」の声をあげ、疲れ切った顔に、安堵の笑みを浮かべた。――隣に座っているマリーの顔色が、いつもより幾分蒼ざめているのが、ピリカには少し気になった。
「マリー、何ぼっとしてんの!? 私らの仕事は終わったんだ、どっかに美味いものでも食べに――」
「終わ…った…… 私の、為すべきこと――」
 荒い息遣いでそう呟いたマリーに、ピリカが不審の声をかけようとした瞬間、マリーの左胸に激痛が走った。
 微かに苦悶の呻きを洩らし、彼女の身体が、椅子から斜めに床へ崩れ落ちる――
「マリー!? マリ――ッ!!……」
 悲鳴を上げて駆け寄るピリカの声と足音とが、急速に遠ざかってゆき――…
 
 (うつつ)ならぬ、淡い金色(こんじき)の空間に、マリーは今、静かに横たわっていた。
 その傍らに、何処からともなく、1人の青年が姿を現して、彼女の横にひざまずき、そっと手を取った。
 薄目を明けた彼女は、次の瞬間、弾かれたように起き上がった。
「あなた―――!!」
 マリーは、大声で泣きじゃくりながら、ホークの胸板を激しく叩いた。
「馬鹿!! 仲間が全員死んだって、前線基地が壊滅したって、あなた1人さえ無事に帰ってきてくれたなら、私は…それで良かったのに……!」
 ホークが、少し呆れたような顔で口にする。
「それは、君も同じだろ……?」
「え……っ」
「あんなに必死になって働いて、働いて――こんな処に来るまで」
 虚を衝かれた彼女に、しかし次の瞬間、彼は極上の笑顔を贈った。
「だけど、そんな君だから、僕はずっと一緒にいたい、って思ったんだ」
 その言葉に、マリーは、少しだけ哀しそうな――微笑みを浮かべた。
「僕が、僕の守った仲間たちを信じたように、君が守った仲間たちを、僕も信じるよ。僕らは、僕らのベストを為し終えたんだ。――だから、僕らの行くべき処へ、さぁ、一緒に行こう!」
「――ええ!!」
 2人、手に手を取って、輝くような笑顔で、駈けだした後ろ姿が、光の向こう側へと、消えた――…。

 

 オペレーション・レイフォースの開始を待たずして、まるでホークの後を追ったかのように、マリーもまた逝った。
 作戦成功後、戦勝ムードに沸き返っている軍の中で、第6課の同僚たちは密かに、「メモリアル・ボックス」〈M.C.0130以降、宇宙で亡くなる人間が急増したことに伴って生まれた風習――故人への捧げ物を詰めて宇宙に流し、一定時間後に蓋を開いて、中身を解放するという物〉に、彼女への哀悼の意を込めて、思い思いの品物を詰めた。
 その中に、ピリカのこういったメッセージが添えられていた。

〈親愛なるマリーへ

 ……こんなことを書いても、あなたにはもう届かないかもね。
 私は、死んだ人間は何処にもいない、って思ってるから。
 あんなにも働いたあなたがいたから、オペレーション・レイフォースが成功したのかも――あなたが人類を守ったのかもしれないけれど、それが今のあなたにとって、一体何の意味があるというの……!? 平和になったこの世界を、あなたは見ることもできないはずなのに。
 マリー、あなたは馬鹿よ。コン・ヒューマン(コンピューター)に勝つために、コンピューターに取り殺されてしまった。

 でも……あなたのロマンチシズムに、私も少しだけ付き合ってみることにしたわ。
“cara”の指輪は、ヤヨイさんが形見に持っていっちゃった、って聞いたから、あなたが寂しいんじゃないかと思って、フェリシティーへ行って、代わりの指輪を大急ぎで作ってもらったの。
「esperar」――スペイン語で「願う」の指輪の裏に、「QUE EN PAZ DESCANSE」:「安らかに眠らんことを」って彫ったの――スペイン語で統一してみたわ。20文字以内で想いを表現し尽くすのって、すごく……難しいのね。あなたがホークと結婚しちゃった理由、今なら少しだけ分かるような気がする。
 だけど、「BE TOGETHER EVERMORE」、その言霊が、逆にあなたを、ホークの処へと連れて行ってしまったのではなくて―――!?

 死者に「天国で一緒に」なんてある訳ない。「転生して幸せに」とかいって、「生老病死」って言葉どおり、苦しめられるためだけに生まれてくるんだったら、来世なんか要らない! それならばせめて、安らかな永久の眠りを。喜びや嬉しさがない代わりに、悲しみも苦しみも存在しない世界で。

 マリー、さよなら。あなたのことは決して忘れないわ。いつか私が死んで無くなるその日まで……〉
 
 最後に、民族文字で“北母子里美利河(キタモシリピリカ)”と書かれた署名の末尾は、涙が染み込んだかのように、少しだけ滲んでしまっていた。

 

 そして、2ヵ月後に挙行された、戦没者慰霊式典の会場には、心痛で床に臥せってしまったヤヨイに代わり、マリーとホークの遺影を抱いて参列するピリカと――喪章を着けて受付業務にあたる、ハルカ=シラハマの姿があった。
 報道部のうら若い女性の、時折涙に声を詰まらせながらの司会が、訪れた人たちの涙をさらに誘った……
「この戦いでは、あまりにも多くの人命が失われました。消息不明のRVA-818のパイロットたちだけではありません。還らぬ旅と知りながら、陽動に出た艦隊の大勢の人々や、作戦を成功させるための後方支援で、無理を重ねて亡くなった方もいます。
 彼らの“尊い犠牲(SUPREME SACRIFICE)”があってこそ、今の平和が、私たちの命があることを、決して忘れてはなりません。――黙祷」

 
 ……宇宙の何処かに、シルバーの指輪が静かに浮かんでいる。
「QUE EN PAZ DESCANSE」:この戦いに命を捧げた、総ての名もなき戦士たちへ―――。
 
 
〈FIN〉

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