サイバネティクス・リンク・システムの開発は、X-LAY 1号機の自爆事故が原因で中止された。2号機及び3号機は、パイロットもろとも封印された。
 しかし――第一次攻略戦敗北の衝撃はあまりに大きく、第二次攻略戦において、X-LAYを実戦投入する事が決定された。
 だが……実験再開の過程で、1号機のパイロットと同様の症状が、2号機と3号機のパイロットにも、相次いで現われるようになってしまった。
 機械化された肉体と脳との不整合もさることながら、戦闘行動=破壊と、人間が育つ上で形成される良心との葛藤、というものが、大きな原因であると推察された。
 
 外惑星連合宇宙軍は、あらゆる可能性を模索していた。
 全人類にわたって、肉体的・精神的に適性の高い人間を、テストによって判別し、訓練に投入していき――
 その結果、1人の少年が発見される。
 突然変異によるものなのだろうか、破壊行為に対する良心が完全に欠落している、と、心理検査によって判明した少年。
 しかも、驚くべき事に、彼のシミュレーター操作能力は、生身でありながら、C.L.S.被検体のそれに匹敵していた。
 ……機械に生存を脅かされる人類が、生き延びるために進化する、その突端として生まれたのが、彼なのかもしれない――。
 が、彼をサイボーグ化して訓練を施すだけの時間は、もはや残されていなかった。
 そこで、軍が選んだ手段というのは――…
 
 2号機パイロット担当の、まだ若い精神科医は、うつむきながら上官の部屋へと足を進めていた。
 気が重い……今日も、「私は、本当に、人間なのですか……!?」と、自分にすがり付く『彼女』を、申し訳程度に慰める事しかできなかった。
 精神療法といえど、彼女の置かれた過酷な状況の前では、どんな説得も無意味だ。薬物療法にも限界がある。できれば作戦から降ろしてあげたいけれど、計画はもう後には引けない。その件について、話があると言われたのだが――これ以上、何をどうするつもりなのだろうか?
 ――上官から、今後の軍の方針を聞かされた瞬間に、医師は大声で叫んでいた。
「反対です!!」
 聞かされた方針というのが、その少年に、操縦並びに攻撃を委ね、『彼女』をただX-LAYの生体ユニットとして扱い、少年から送信される指示のみを、実行させるようにする、というものだったからだ。
「それでは、これまで訓練に耐えてきた『彼女』の立場はどうなるんですか!? 苦しんできた彼女の思いは――」
「どんな経過があろうとも、戦えぬ兵士など要らんよ」上官は表情一つ変えずに答えた。
「君の至らなさでもあるのだよ。現に3号機のパイロットは、治療の成果で戦闘に適応できるようになったではないか」
「しかし、あれは――!」
 医師がその「治療」の内容をまくし立てようとするのを、上官はさえぎった。
「この際手段は問題ではない。我々が欲しいのは結果だけだ。『彼女』には、真実『レイ=バーミリオン』になってもらわねば困るのだよ。……操縦が他人に代行されようとも、搭乗者として名を残せるのだから、いいではないか、なぁ?」
 もう怒りで口もきけず、きびすを返して上官の部屋を出ていこうとした医師の背中に、とどめの言葉が投げ付けられた。
「……『彼女』の意思と、人類全体の生命とを、引き換えにするつもりかね? ――君自身の家族の生命を考えれば、命令に逆らう事などできないだろうがね……」
 
 ……『彼女』は今夜も、眠れぬまま芳香器の灯りを虚ろに眺めていた。
 眠剤の効果はどこへやら、アロマテラピーにしても、ラベンダーではもう効かなくて、小遣いをはたいてネロリオイルを取り寄せたというのに、一向に眠気を誘ってはくれないのだ。
 その時、インターホンが、遅い来客を告げた。
「――はい?」
「僕だ。眠れないなら、少し話をしないか?」
「先生……!」
『彼女』は救われたというような表情になって、いそいそと部屋に医師を迎え入れた。
「わざわざ来て頂けるなんて……、? 先生、顔色が少し悪くありませんか?」
「――大丈夫、何ともないよ。それより、君の方は……?」
「……具合はあまり良くありませんけど、先生はできる限りの事をして下さっていて、感謝してます。話せれば少し落ち着いて、眠れると思います」
(―――僕は今、これだけ僕を信頼してくれている人間に――)
 内心の動揺を表情には出さず、医師は白衣のポケットから、注射器とアンプルを取り出した。
「ん……、今日は、僕なんかの話よりも、良く効く薬を持ってきたんだ。大丈夫、すぐに眠れるようになるよ」
「注射……? 追加眠剤だって、後をひくから使わない方がいいって――」
「これは特別製の、新しい薬でね。起きる頃には抜けているから、心配要らないよ」
 じゃ、お願いします、と微笑んだ『彼女』の背後に医師は回って、首筋のインジェクションから、薬物を注入した。それから彼は、彼女をゆったりと椅子に座らせ、自分は丸椅子に腰掛けた。
「……君が安らかな眠りにつけるように、お手伝いをしてあげよう」
 柔らかな口調で、医師は語り掛けはじめた。
「目を閉じて、身体中の力を抜いて……そう、手足をぶら下げる感じでいい。呼吸はゆっくりと――そうしたら、時計のパルスに耳を傾けてごらん、1、2、3……と数えながら……」
 暗い部屋の中に、アナログ時計の秒針が刻む音だけが響く
「……数が多くなる毎に、力が抜けていって、楽に――眠くなってくるよ。深く……心の中へ降りていって、何の考えも浮かんでこなくなる。……ほら……いい気持ちで、すっかり楽になったよ」
『彼女』の肩がだんだんと下がってゆき……そして頭が、ことっ、と落ちた。
 医師が、おもむろに尋ねた。
「――僕の声が、聞こえているかい?」
 何を馬鹿な事を言うんです!? と、起きていれば答えそうなものだったし、眠っていれば答え様がない。どだい、眠らせるのに椅子に座らせた時点で、おかしいと気付くべきだった。
『彼女』は落ち着いた声で、従順に答えた。
「……はい」
 ――さっき『彼女』に注射された薬物は、彼女を眠らせるための物ではなく、暗示にかかりやすくするための物だったのだ。
 脳に浸透した薬物の効果と、医師の暗示とによって、彼女は今、極めて深い催眠状態に導かれていた。
 心の殻を開け放たれて、口から出る言葉は本心のままに、そして心と身体は、医師の命令のままに――。
「心が澄み切って、もう僕の言葉以外は、何も分からないよ」
 こくり、とうなずいた『彼女』に、医師は問い掛けた。
「……君は、X-LAYに乗って戦う事を、どう思っているかい? 思ったままを、正直に答えてごらん。人には言ってはいけない事でも、僕にはありのまま話してくれていい。――さあ」
 うつむいたままの彼女の肩が、微かに震えた。
「……怖いです……自分がどんどん人間でなくなっていくような気がして……何かを破壊するたびに、身体だけじゃなく、頭まで機械になっていくみたいで……。頑張らなくちゃいけないのに、でも、でも――…」
 そこまで言って、『彼女』は泣くように身をすくめた。
 ――視覚センサーに置換された彼女の目に、涙を流すという機能はない。だが、身体の動きだけで、『彼女』が泣いているのだと分かる。
「……皆が許してくれるなら、逃げ出してしまいたいです――」
 ――(逃がして、あげるためなのだ)、そう自分に言い聞かせて、医師は『彼女』に、最終的な暗示を与える事にした。
「――もう、いいよ。良く分かったから……泣くのをやめて、もう一度、身体の力を抜いて、楽にして――頭の中を真っ白にして、僕の言葉を、ようく、聴くんだよ」
 素直に命令に従う『彼女』に、暗示による疑似体験が与えられる――
「――君は今、X-LAYに乗って、本星へと向かっている」
『彼女』の全身が、怯えるように、ビクッ!! と動いた。
「大丈夫、まだ戦闘エリアには入っていないから、敵は出てこないよ。君の飛びたいように飛んでごらん。さぁ、前を見て――何が見える? どんな気分?」
『彼女』は面を上げて、薄く目を開いた。
「……とても……いい気分です。高速で脇を過ぎてゆく星が、まるで水晶みたいにきらきら輝いて、私は、闇の中へ――」
「その風景を良く見て、心に焼き付けて――」
 ここからが、暗示の本番だ。
「……その風景が見えたら、もう君の中からは、苦しみも恐れも何もかも、消えてなくなってしまう」
「…………」
「とても楽な気分でいる君に、間違いない指示が送られてくるから、ただそれに従って、機体を動かす事だけ、考えていればいい」
 陶然とした表情で、医師の言葉に聞き入っていた「彼女」の唇から、微かな声が流れる……
「――私は、任務を完遂しなければならない――」
 そうつぶやいた彼女を、彼は諭した。
「もう、いいんだよ。指示を送ってくれる人に、みんな任せておけば、君は任務を完遂できる。――君は、今まで充分過ぎる程苦しんだ。だから皆君を、許してくれる。神様だって、許してくれるよ」
「……はい……」
 命令を受け入れた『彼女』に、医師の言葉が続く。
「……今から僕が3つ数えて手を叩くと、君は一度目を覚ます。今まで僕が言った事は、目が覚めるとすっかり忘れてしまう。でも、これから言うキーワードを聞いたら、思い出して、確実に、実行するんだよ」
「キーワードを聞いたら、確実に実行します  」
「キーワードは、そう……“PENETRARION” 」
「PENETRATION――」彼女は復唱した。
「そう。もう何も、心配する事はないんだからね。ベッドに入って横になれば、すぐに気持ち良く眠れるよ。――分かったね?」
「はい……」
『彼女』は目を閉じたまま、微笑んだ。本当に、幸せそうな顔だった。
「――じゃあ、行くよ。3、2、1、」
 パンッ!
『彼女』はハッとして、ぱちっ、と目を見開いた。
「……ぁ……?」
 すかさず医師がたたみ掛けた。
「良く寝てたね?」
「あ…っ、ごめんなさい、先生の前だっていうのに、私ったら――」あたふたとうろたえる『彼女』の意識には、催眠状態での記憶は全く存在しない。「でも、すごい、注射1本で、こんなに楽に眠くなれるなんて! 先生、本当に、ありがとうございました!!」
 どういたしまして、早くベッドに入ってお眠り、と、軽い会話を交わして、医師は彼女の部屋を後にした。
 自室に向かう足取りは、徐々に重くなり、ここまで来れば『彼女』の聴覚センサーも及ぶまい、という位置で、ぴたりと止まった。
 どうしようもない自責の念と共に、嗚咽が込み上げる。
 ……軍は『彼女』から生身の身体を奪い、理不尽に苦しめた。そして今自分は、彼女の自由意志さえも奪う処置を、ほどこしてしまった。何も知らずに、今頃安らかな寝息をたてているであろう彼女の下意識には、しっかりと命令が刻み付けられている。後はハード方面の調整が済めば、少年による操縦の代行は、成功するだろう。
 しかし、これで人類が勝ったとしても、その後生まれてくる者たちに、他人の意志も尊重しなさいよ、などという事を、教える事ができるのだろうか!? こんな人類だったら、いっそコン・ヒューマンに滅ぼされてしまえ、とさえ思う。もちろん、我が身と家族可愛さに、上官の命令に従ってしまった自分が、一番先に殺されるべきだ。
『彼女』を苦しめて、意志をも奪って、あるいは生命まで奪うかもしれない―――
 涙に歪んだ顔で、独り心の中で叫んだ。
(……何が……何が「希望の力」だ……!!)
 
 作戦開始の時がやってきた。
 2機のX-LAYは、作戦エリア-1に向けて飛び立った――それと時を同じくして、シミュレーションルームに、その少年は通された。
 シミュレーターと2号機は通信回線で繋がっており、少年がシミュレーターを操作する通りに、X-LAYが動く、という筋書きだ。
 それを司令室で見守る人々の中に、医師もいた。
 医師が初めて見る少年の印象は、10代の前半位だろうか、ひどく小さく華奢で、冷え切った酷薄な瞳の色が、心理上の大きな欠落――否、人類が生き延びるための必然としての「進化」なのだろうか?――をうかがわせた。
 少年が小さな身体をシミュレーターのシートに滑り込ませた……
 同じ頃、『彼女』は、星空を見ながら、不思議な感覚に捉われていた。
 ……これから戦わなくてはならない、不安や緊張や恐れがあっていいはずなのに、ほとんど感じない、それどころか、周囲に見えているこの風景が、ひどく待ちわびていた、懐かしいもののように思える。
 すぐ傍にあるような気がする、素晴らしい別の世界。
 近付いてくる、何かの瞬間――
 高速で過ぎてゆく星が、まるで水晶のように輝いて、そして―――
 その瞬間、『彼女』にキーワードが与えられた。
 “PENETRATION!”
 ――催眠暗示が、発動した。
『彼女』の意識に白光が走り、それきり何も考えられなくなった。
 機体は一瞬、制御を失って、失速した……が、程なく、少年の操縦によって、持ち直した。
 シミュレーターを軽く操作し、機体の反応を見ているようだ。
「フン……中々いいインターフェイスだな」
 頼りない外見とは裏腹に、少年の腕は確かだった。レーザーを、ショットを放つ、攻撃を回避し、敵を破壊する手際は、訓練で見てきた『彼女』のそれに、優るとも劣らない。
 侵攻してゆく……と、少年は何故か、ロックできたターゲットを撃たない。
「何を――!?」
 人々が慌てるのを意に介さず、彼は8つのターゲットがロックされるのを待って、ようやくレーザーを発射した。
 思わず医師が怒鳴った。
「君は一体全体、何を考えているんだ!? 余計な攻撃をされる前に、敵を撃破しなければ――」
「うるさいなぁ」反省も温かみもない声が返ってきた。
「8本もレーザーが撃てるんだったら、まとめて撃った方が面白いじゃないか」
 もし2人が同室にいたとしたら、医師は確実に少年に殴りかかっていただろう。腹が立って仕方がない。任務も『彼女』の生命も何とも思わず、楽しんでさえいる、こんな少年に、『彼女』の運命を、ひいては人類の運命を、託さなくてはならないとは!!
 それでも、別のモニターに映し出されている『彼女』の顔は、この状況など知らないが如くに無表情で、凍り付いたように前を見つめていた……。
 
 少年は、良く戦った。
 見た事もない敵の配置に即座に対応し、絶望的なまでに激しくなってゆく攻撃をくぐり抜け、確実に中心核へと侵攻していった。
 人々は、良くここまで戦えるものだと、驚嘆しながら見守るしかなかった。
 先刻のようなふざけた行動は、少しずつ影をひそめていったが、それでも、少年の目元と口元から、楽しんでいるかのような表情と高揚感が、消える事はなかった。
 やがて、巨大な機械生命体を撃破した時、全ての攻撃は止んだ。
「――やった……っ!」
 少年が放心したような表情で口にした。身体はそれほど動かしていなかったにも関わらず、彼ははぁはぁと息を切らしていた。胸の高鳴りまでもが聞こえるようだ。
「――コントロールタワーを――」
「分かってるよ」
 ――自分は、任務を完遂する!
 司令室からの通信に、少年が応えようとした、その時、異変が起きた。
 ロックオンレーザーのサイトが、どういう訳かひとりでに閉じた。
「な――!? コントロールが…っ!!」
 全く同時に、機体の操縦までもが利かなくなった。少年が滅茶苦茶にスロットルレバーを動かしているにもかかわらず、機体はまっすぐに、予定通りのタワー上空へと……
「――!? お前は、誰だっ!?」
 少年が訳の分からない事を口走りだした。
「……私の、手で……!? やめろお前、こんな所でレーザーを撃ったら、死―――」
 もはや少年の意志とは関わりなしに、X-LAYからレーザーが放たれ、コントロールタワーに突き刺さった。
 大爆発、そして白い閃光―――
「うわあああああッ!!」
 誰もが絶叫と共に腕で目を覆った、しかし最後の瞬間まで、少年は、スロットルレバーを全力で手前に引き続ける事だけは、やめなかった。
 モニターに火花が走り、そして、一切は砂の嵐になり、無情な雑音がその場を支配した――。
 
 ――人々が少年の許へ走り寄った。
 雑音に耐えかねたか、モニターの映像は、基地周辺の宇宙へと切り替えられていた。
「てめえら……何て事しやがったんだ」
 よろよろとシートから下りた少年は、憎悪を込めた瞳で、司令官を睨み付けて叫んだ。
「――あの戦闘機には、人間が乗っていたんだろうっ!?」
 誰も、否定する事はできなかった。
「……俺の腕から、身体を通して、女が話し掛けてきたぞ。『ここまで連れてきてくれてありがとう。最後の決着だけは、私自身の手で付けさせて』、って。俺に操縦をやらせるために、あの女を機体のインターフェイスにした、そうなんだな!! でなきゃ、あんなに優しい操縦性があるもんか。――せめて最後まで、俺がやっていれば――」
 医師が静かに言った。
「……あの本星の爆発から、『彼女』を救えたとでも、言うのかい……?」
「――――っ!!」
 少年がカッとして医師に殴りかかろうとした、しかしその非力な腕は、あっさりと掴み取られてしまった。
「ちくしょう……!」
 少年は涙をこぼしながら呻いた。
「……俺が彼女を殺したんだ。俺が……っ!!」
「君のせいじゃない」
 医師が瞳を閉じて言った。
「彼女に君の操縦に従うよう、命令を与えたのは僕だ。君のせいじゃない。――僕が、殺したんだ」
 遣る瀬ない悲しみが、場を覆い尽くそうとした――その時!
〈それは、違うわ〉
 と、女性の玲瓏とした声が響いた。
〈2人とも―――〉
「――――――!!」
 宇宙のモニターをバックに、そこに『彼女』がいた。
 驚愕のあまり、誰一人、身動きすらできなかった。
 宙に浮いて、半分透けている、実体でない事は明らかだ。しかし、確かに『彼女』だというオーラ、そして存在感。
〈……世を去る者が、世に残る者に、最後に伝えたい想い、「虫の知らせ」と言うようなもの。驚いたかもしれないけど、心配しないで、そう長い事ではないはずだから〉
 青い瞳を、悲しげに……けれど優しく細めて、『彼女』は語り始めた。
〈あなたたちのせいじゃないわ。あそこでレーザーを撃ったのは、私自身の意志よ。だから一切、気にしないで〉
 それから、少年の方を向いて
〈私に指示を送ってくれていたのは、あなたね?〉
 少年は何も言えず、目線だけで「YES」と答えた。
〈……ずっと、感じていたの……私ではない誰かが、私になって、X-LAYで戦っているのを。本当なら、私がしなければいけなかった事なのに――戦うための肉体を与えられていながら、精神に強さが足りなかった。逃げたい、って思いがあったから、「許してもらえる」なんて都合のいい暗示を受け入れて、あなたにみんな任せてしまった〉
 呆気に取られている医師に、『彼女』は小さく笑い掛けた。
〈先生――「キーワードを聞いたら実行する」って命令は聞きましたけど、実行した後は命令自体を忘れる、っていう命令は、私は聞いていませんでしたよ〉
 言われて初めて気が付いた、最後1つの暗示を、与え忘れていた事に。
 光る髪を、空に舞わせて……
〈でも、最後だけは、どうしても自分の手でやりたかったの。「希望の力」となるべく改造された、私自身の手で――ね。もう1つ、しなければならない事もあったし……。結果的に辛い目に遭わせてしまって、ごめんなさい〉
「お前……っ!」
 ようやく口がきけるようになった少年が、『彼女』に疑問を投げ掛けた。
「お前、たまたま俺が、最後まで行けたからいいようなもんで――もしか、俺がひどい奴で、途中でやられたりしたら、一体どうするつもりだったんだよ!?」
〈どのみち私1人だったら、戦場に足を踏み入れる事さえできなかったわ。それだけで、感謝してる。――誰であろうと、私に指示を送ってくれる人を、信じようって思ってた。途中で撃墜されても、全力を尽くしてくれさえしたのなら、私はきっと今と同じように、お礼を言いに来たはずよ〉
 そう言って『彼女』は、少年の瞳を真っすぐに見つめた。
〈でもね、最初の機体の動きで、あなたなら大丈夫だ、って分かったわ。あなたで――本当に良かった。最後までたどり着けて良かった〉
「……馬鹿じゃねぇの?」
 少年が、精一杯突っ張った口調で、言った。
「俺なんかをそんなに信用して、生命まで預けていやがったのかよ。――悪いけど俺は、あんたの事なんて知らなかったし、任務を果たすって事も考えてなかった。はっきり言って、楽しんで、遊んでた!」
 周囲の人間は呆れ返る一方、『彼女』は表情を全く変えず、少年は話し続ける――
「本当に、楽しんでたよ。敵を壊す事、弾を避ける事、レーザーを駆使する事、面白くてしょうがなかった。それを続けていたいから頑張っただけで、あんたのためじゃない! ……でも、本当に俺自身が、機体と融合していたようだったよ。あんな一体感は、一度だって感じた事がなかった。あんたが――結び付けてくれていたんだな」
 うなずく『彼女』。
「おいし過ぎるよ。異常と判断された俺の性格が役に立って、人類まで救っちまったとはな! この充実感も、達成感も、みんなあんたのお陰だ。あんたがいなかったら、俺はただのクソガキでしかなかった」
 ――少年が、一段と声のトーンを上げた。
「俺が操縦をやり損ねて、あんたを殺したとしても、俺は何の痛みも感じなかった! こんなにまでしてくれて、あんたはいくら感謝されても足りないはずなのに、あんた、これでも良かったのかよ! 一言ぐらい、怒ってみせろよ!!」
『彼女』は、怒るどころか、少年に極上の笑顔を贈った。
〈――私も、楽しんでたよ!〉
「は……、はははははっ!!」
 少年が腹を抱えて笑った。
「あんた、馬鹿だよ。本当に馬鹿だよ。でも――」
 彼は、たっ! と彼女の許へ走り寄って、輝く瞳で、右手を上へ差し出した。
「―――ありがとう!!」
〈ありがとう〉
 少年の手を、『彼女』の両手が、優しく包み込んだ。
 確かな温もり――しかし、その感覚が明瞭であった分だけ、急速に薄れてゆき、彼女の存在感が弱まってゆく……
 その自分の両手を見ながら――
〈……時間切れ……みたいね。じゃあ、行くから。さようなら〉
 別れを告げて、くるりと背中を向け、宇宙の彼方へと遠ざかっていこうとした『彼女』は、最後に振り向いて、微笑みの残像を置いていった。
〈いつか……逢えるといいね、一番強い力で、私たちを求めてくれるあの星で―――…〉
 言葉と姿が、光る雪を風が舞い上げるかのように、宇宙の闇に溶け込んで消えた。
 誰も皆、流れる涙を止める事ができなかった。
 ――『彼女』は、夢見た星へ、長い旅に出たのだ。
 

〈FIN〉

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