1. HER REAL NAME IS UNKNOWN
今日、軍上層部に呼ばれて、
「C.L.S.部隊に移ってもらえないか」
と打診を受けた。
……どうせ私に、選択の自由など初めからないのだろう――と内心思いながら、その場で、
「はい、行きます」
とOKの返事をした。
機動兵器部隊の中で、優秀な人間を選抜して、肉体の大部分を機械化し、脳を直接機動兵器に接続する事で、手動操縦とは桁違いの戦闘能力が得られる――という特殊部隊の噂は耳にしていた。
もしかしたら、自分も選ばれてしまうかもしれない、と、可能性の範囲では考えていたが、いざ言われてみて、……これから自分はどうなるのか、どう変えられてしまうのか、不安を抱かない訳ではないけれど、選択の余地のない状況では、あぁ、なるようにしかならないのだろうと、特段の感情は浮かんでこない。
自分が身を置いている環境が、自分に及ぼす力に、時が進むのに押し流されながら、身を任せるしかない――。
転属のごたごたに追われているうちに、思いのほか早く、手術の日はやってきた。
山ほど飲まされた、色とりどりの薬のせいだろうか、手術室へと運ばれるベッドの中でも、私を照らす無影燈の下でも、少しぼーっとしているのか、不安や恐れというものはあまり感じなかった。
そんな私の表情を、満足気に見ていた麻酔科医が、「痛くなんかないよ、眠っているうちに、全部終わっているからね」と、手にしたアンプルを割った。
左腕に注射針が刺し込まれ、薬物が注入されたようだ。
そう、眠っているうちに終わる……少し楽しみですらある、麻酔で意識を失うというのは、どんな感触なのだろう? 眠るように心地よく、意識が薄れてゆくのだろうか……?
――その瞬間は、予想外に早く、突然にやってきた。
不意に言葉と意識が、白い闇に呑み込まれて、ふっつりと消失し――…そこから先は、何も覚えていない。
……目が覚める直前、夢を見た――。
夢というのはいつもそうだが、何の意味も脈絡もなく、私はシャワーを浴びて、タオルで身体を拭き、とっておきのハンガリー・ウォーターを、火照った肌にコロン代わりに付けて、皮膚がそれを吸い込んでゆくフレッシュな感触を楽しんでいた。
「あ――、いい気持ち! 私は、人間なのよね」
幸せに口にした次の瞬間、
〈違うわ〉
と、どこか、すぐ近くから、ゾッとするほど冷たい声がした。
私の声? 違う、機械で処理したような、でも似過ぎている。
「嘘だわ! あなたは誰、どこにいるの!?」
〈鏡の前に来て、自分の本当の姿を見てごらんなさい。そうすれば真実に気付くわ〉
裸のまま鏡の前に走る。見慣れた私の姿が映るに決まって――
それが、私と同時に鏡に躍り込んだのは、銀色の部品と人工筋肉剥出しの、アンドロイド!!
思わず絹を裂くような悲鳴をあげた――その時気が付いた、ああ、これは夢だ。ほら、いつもの朝が来たよ、何も変わりはしない、起きなきゃ……
――何か、変だ。
自分の身体なのに、自分じゃない。手足がひどく重くて、何だか頭と身体の繋がりが、半分外れてるみたいだ。体調悪いのかな。でも起きなきゃ、まぶた…って、どうやって開けるんだっけ? ――私なんでこんな事考えてるの?
やっと目が開いた。見えて…るけど、何か微妙な違和感がある。と、視界におかっぱの可愛らしい女性の顔が入ってきた。
「あ、気が付きましたね。――気分は、どうですか?」
「……あぁ、うん、そんなに悪くない……」
耳も聞こえている、声も出せている、悪夢の声ではなく。しかしやはりこれも――
その女性が微笑んだ、けれどそこには多少悲しげな色があって、おや? と思った。
「……機械化した部分との接続が、まだあまり上手くいってないみたいですね。でも大丈夫です、少しリハビリすればすぐ良くなりますから」
そう言われて――ようやく全部思い出した――そうだ、私はサイボーグ化手術を……
(……夢じゃ、なかったんだ……)
腕を目の上にかざしたくなって、そうした。ぎこちないが、動くことは動くようだ。
女性が快活な笑顔になって、言った。
「――私は、あなたのお世話をさせて頂きます、理学療法士の、サリス=ブルームと言います。よろしく、お願いしますね」
自分からも名乗り、こちらこそよろしくお願いします、と言って、サリスに支えられながらベッドから起きた。
――ドクターによる、手術後のチェックが済んだが早いか、私は自室に戻って、全身が映せる大きな鏡の前に立った。夢と同じように、一糸まとわず。
そこには、ちゃんと皮膚に覆われた、人間と区別の付かない姿があった。
(これが、私……)
眠る前とほとんど変わってはいない。皮膚や爪や髪の出来映えも、申し分ない。人工パーツだというのに、良くここまでリアルに人間に似せたものだ。
しかし――
(……これが、私?)
身体の動きもさることながら、これまで自分がシャワー室で見ていた裸体と、何かが微妙に違う。ほんの0.何ミリかの誤差なのだろうけど、顔の、身体の表情といったようなものが、違う。
――この人工皮膚を剥いだら、夢で見たアンドロイドの姿が出てくるのだろう。
悪夢は、これから始まるのかもしれない……
けれど、翌日から始まったリハビリが進むにつれて、サイボーグ化された身体にも、だんだんと慣れていった。
……例えば、見慣れた街のある家が、取り壊されていたとする。
あ、変わったな、という認識はあるけれど、そこに、ついこの間までどんな家が建っていたのか、何故か正確には思い出せない自分に気が付く。新しいビルなどできてしまったら、もう完璧(パーフェクト)だ。――それと同じようなものだ。
生身の身体は、過去にしか存在しないものであり、今の身体と突き合わせて比較する事はできない。肉体感覚の記憶は日に日に薄れ、自分の現在の宿りである機械の身体を受容し、思うままに動かせるようになっていった。
並行して、技術者から今の肉体に関するレクチャーも受けた。
素材は最新鋭技術の粋を集めた超高級品である事。質感は人間と変わらず、かつ真空中でも破損しない耐久力を持つ事。骨格はチタン-ジュラルミン合金で、20Gの加速にも耐え得る事、等々。……はぁ、物凄い肉体なんですね。
――しかし話を聞けば聞くほど、これは機械化人間(サイボーグ)と言うよりも、人型機械(アンドロイド)に脳を組み込んだだけではないのか、と思えてくるのだが、脳は人間なのだから、君は間違いなく人間なのだと、彼は異常なまでに力説していた。
そして、私が初めてC.L.S.搭載機を操縦する日がやってきた。
2. RAY=VERMILION
「これが――…」
デッキの床から私は、全長約21m・全高約6mの赤い機体を見上げた。
機動兵器は見慣れているが、フュージョンガン2本はまあいいとしても、荷電粒子ビーム砲が8本後方に突き出ている、デルタ型の尖鋭的なフォルムはやはり特異に映る。
「そう、RVA-818 X-LAYだ」
私に付き添ってくれているメカニックの人が、誇らしげに言った。
「機動性と広域攻撃性について、これ以上の機体を望まれてもできねぇな。プロジェクト “RAYFORCE” の、これが答えだ。外見も一味違うが、操縦特性はもっと違うぞ。C.L.S.は、『百聞は一乗にしかず』だ。さぁ、乗った乗った!」と、彼は私の背中をばんばんと叩いた。
ノリのいい解説につい笑みをこぼしながら、私は床を蹴って、低重力の中を泳ぎ、開かれていたハッチから、コックピットに滑り込んだ。ふと自分の格好――腕丸出しヘルメットもなし――を顧みて、気密服が足りない、と以前の癖で思ってしまって、苦笑する。今の身体では、宇宙空間行動の際でも、宇宙服は必要としないのだ。
――コックピット内の操縦系は、従来の機動兵器と変わらないが、異彩を放つのは、シートから伸びているコードと、脇に掛けてあるヘッドギア。
(これが脳に直結される、C.L.S.インターフェイス……)
唯一外見上人間と違う、首筋と頭の端子に、全端末を接続した。端子がプラグを迎え入れ、あるべき本来の状態になった、というような一体感と、私の人間としての領域が、機械に侵食される違和感とが、ないまぜになった感触がした。
司令室から通信が入った。
「インターフェイスの接続は済んだな?」
「はい」
「『思ったように動く』というのが、C.L.S.の特性だ。立ち上げから終了の全過程を、今日は君自身の手で――いや、頭でやってもらう。……では、始めてくれ」
「はい……」
……身体の方はどうしたものかと一瞬戸惑う。手足を使わずに、思った通りに機体を動かせる、という夢のような瞬間が、すぐ向こうにある。足はいつものように、フットペダルに置いておくが、文字通り「手持ち無沙汰」になってしまう手は、太股の上で組んでおく事にした。
念じればいいのか――
瞳を閉じて、頭の中でインターフェイスに向かって叫んだ。
《――起動!!》
命令が飛んだ次の瞬間からの体験は、まさしく想像を絶するものだった。
機体の各部が次々と目を覚まし、セルフチェック異常なしの応答を私の意識に返す、同時にそれが私の身体の一部として、自己認識の中に飛び込んでくる。そしてその感覚が、機体の隅々まで行き渡った時――私という存在は、X-LAYという機体そのものになっていた。思わず息をのもうとしたが、その身体の感覚が既になく、行き場をなくした思念が空回りした。「全身」を意識で走査した結果、私の元の身体(いや、思考の中心であるはずだが?)は……機体の生体ユニットとして、コックピットにちょこんと納まっているのが発見された。
な、何という感覚――…機体の前後左右上下がいっぺんに知覚されてる。反対方向が、例えば天井と床が、同時に見えてるなんてあり!? めまいがしそう――物語で言う武道の達人でも、こんなあからさまな視覚は、持ってなかったでしょうよね……!
司令室からの音声が、今度は耳ではなく、意識の片隅に直接響いた。
「全方向の視覚には驚いたかもしれんが、心配はいらない、じきに慣れる。エンジンを始動して、発進態勢に移ってくれ」
〈ラ、ラジャー!〉
これも口を開いて声を出した訳ではない。発声しようとする言葉が、自動的にデータとして送信され、司令室のスピーカーで音声となったもようだ。――私の慌て加減さえ、忠実に表現されていて、心の中だけとはいえ、思わず噴き出しそうになってしまった……その感情の動きが、気分を少し楽にさせた。360°の視界があっても私は私、ちょっと意志の伝達や五感が違っても、本質は何も変わりはしない。
エンジン始動、発進準備へ!
私の意志のままに、機体の後部で熱い塊が2つ生まれた。2基の熱核融合エンジンが、急速に噴き上がり、血液が身体中に力をみなぎらせるように、エネルギーが運動系に注ぎ込まれてゆくのが分かる。
だんだんコツが掴めてきた。そう……エンジンの出力を上げるには、私が気合を入れればいいのね。もしかすると私の身体より精神より、私の思い通りになるものなのかも、この機体って――
発進ゲートが開かれた。
〈――行きます!〉
ダッシュするような意志の動きと同時に、アフターバーナーが火を噴き、機体はあっという間に、デッキから宇宙へと飛び出した。この加速感は従来の機動兵器をはるかに上回る、でもGの苦しさは全く感じない! 装甲で受け止める速度が小気味いいほど……!
司令室からの指示に従って、旋回・加速等の飛行行動をとった。何てシャープな操縦系の反応――これ程までに、自分の意志に忠実に反応する機体に、今まで乗った事はない! しかもそれが、手足の動き抜きでなされているなんて――意識が光るように高揚する、凄い…、凄い……っ!!
「よし、ターゲットの撃破に移れ!」
〈はっ!〉
後方に反応が生まれた、センサーはそれを逃がさず、私の意識に映してくれる。瞬時にターン、フュージョンガンの射程距離内に入れる。
発射! と命令を下す、タイムラグ一切なし――否、私の思考が完結するより速かったかもしれない反応で、砲身から熱いエネルギー流が放たれた。爆発! これは……まさに「牙」だ! 搭乗前に鬼のように読まされた、先輩たちのパイロットレポートのある一節が、鮮明に思い出される、そして私は今、それを実感している――[機体のセンサーは私の五感に、動力炉は心臓に、そして兵装は牙となる!]。
そう感じている間にも、センサーは新たなターゲットを捕えている。下か! よぉし、LOCK-ON LASERの力、試してみせる!
――下方にターゲットを発見したと同時に、兵装をロックオンレーザーに切り換えた、ちょっと意識を動かせば、瞬時に済む事だ。視覚センサーが捕えたデータを、機体内蔵のコンピューターが処理し、私の意識に空間として認識させている、その宇宙の闇に、対地攻撃用のガンサイトが浮かび上がる。後はサイトにターゲットを収めればいい。程なく、乾いた幾つかの告知音と共に、ターゲットがマークされた。コンピューターからは、レーザー発射OKのサインが出ている。
当たるのか? これだけで? でもこの機体は信用できる!
(行けっ!)
今度はビーム砲が唸り、機体の後方から、荷電粒子ビームが飛び出した。それらは弧を描き、ターゲットに吸い込まれるように誘導し、少しの誤差もなく命中した。そうか……Lead Computing Optical Sight Systemとは、こういう事か……! 機体から放たれているペンシルビームがターゲットの捕捉を行い、コンピューターがレーザーの軌道を計算して誘導する、というような原理はこの際どうでもいい、(技術者の人が聞いたら怒るかもしれないが)操縦者である私は、操縦・攻撃に関する部分しか意識してはいないし、道具は使えさえすればそれでいいのだ。
――残りの戦闘訓練を、全くとどこおりなく終えて、帰還する頃には、すっかりこのX-LAYという機体に馴染んでいた。18mを超える翼幅(ウィングスパン)の、隅々までが私の身体、30t以上の重量さえも、少しも重いと感じる事無く――… 例えば体操の授業のように、全身の神経を集中して、自分の身体をふわりと着地させるのと同じ感覚で、定位置に機体を納め、停止させる。……うん、10点満点の着地、かな?
「――ご苦労だった。システムを終了させて、機体から降りてくれ」
〈……はい〉
一抹の淋しさと、名残惜しささえ感じる……おやすみ、X-LAY。
(終了)
今度は起動時と全く逆だった。機体全体に拡がっていた自我から、機体のパーツが次々と闇になって消え去ってゆく、そしてその縮小の果てに、自己認識が小さな自分の身体へと収斂された――いや、復したと言うべきか?
「……、ん……」
力が抜け切っていたであろうまぶたが動いた、どうやら目はうつろに半開きであったようだ。手も力なく太股の上に置かれたまま。端末を外して、よいしょ、っと……あらら、ちょっと身体が上手く動かないわ。さっきまでのダイナミックな感覚に比べて、ひどくちまちまして――まぁ、これもじき慣れるでしょう。
コックピットから姿を現わすと、さっきのメカニックさんが出迎えて手を振っていた。
「お疲れえ。――どうだったい、乗り心地は?」
私は満面の笑みと共に叫んだ。
「サイコ――――です!!」
……X-LAYという機体は3機存在し、その専属テストパイロットもまた3人いた訳だが、訓練を重ねるにつれ、『彼女』はその中でもトップの成績をあげるようになっていった。
関係者は歓喜した――『彼女』こそが、コン・ヒューマンの脅威から人類を救う、「希望の力」になり得るのかもしれない、と。
宇宙の闇を切り裂く、一条の赤い閃光――「レイ=バーミリオン」、誰からともなく言い出された異名で、いつしか皆、『彼女』を呼ぶようになった。
――その日の訓練が終わり、『彼女』が自室に帰ると、何よりも先に机の中から〈LAVENDER OIL〉というラベルが貼ってある、茶色の小瓶を取り出す。それから、コードの付いている白い陶製の花瓶のようなものの上蓋に、スポイトを用いて瓶の中身を滴下する。無色透明のそれは、ラベンダーのエッセンシャルオイルだ。
カチッ、と、コードに付いているスイッチを入れると同時に、陶器の中に温かい光がともる。中に白熱燈が組み込まれているのだ。同時に発生する熱が、エッセンシャルオイルを揮発させ、程なく、フローラルな芳香を周囲に漂わせる……
そこまでが済むと、部屋の照明を落とし、陶器の優しい輝きを、ほーっとして眺めるのが、1日を終える『彼女』の習慣だった。
「レイ=バーミリオン」から、1人の女性に戻れる、貴重な時間が流れてゆく――。
……旧時代、西洋に細々と伝わっていた「
植物の精油の香りで、心身を癒すというもの。ラベンダーの香りには、人間の精神を鎮め、安らかな眠りへといざなう作用があるという。この時代にも、自然の力は信じられ、天然の材料は生産され続けている。人間の本質は、時代を越えて変わらないのか――否、人工物に、機械に脅かされる時代だからこそ、人は自然の力を求めるのかもしれない。
そして『彼女』にとって、その行為には、もう1つ大きな意味があった。
アイデンティティーの再確認。
ラベンダーの香りに心安らげる事、白熱燈の光に和める事……それが今は、機械化された肉体のセンサーが感知し、ハードワイヤー化された神経を介して、ただの電気信号として、脳に伝達されているに過ぎないとしても――生身の身体だった頃と変わらぬ反応を示せる分だけ、自分は「人間」であるはず……。
そうして、部屋中の空気が浄化された頃合を見て、『彼女』はベッドに入り、ラベンダーの香りに包まれながら眠りにつき……花咲く草原を駈ける夢を見るのだった。
3. ECHO=NAVY
「――済みませーん、AML-067-1のビーム砲の具合が悪いみたいなんで、面倒見てあげて下さい」
「点検より先に、不良箇所が分かっちまうとは、C.L.S.たぁ大したもんだねぇー、ほんとに。オッケー、ばっちり直しとくからよ」
メカニックさんとそんな会話を交わして、その日の訓練も終わり、自室に帰ろうとした……と、ドアの前に、緑色のパイロットスーツを着た青年がたたずんでいた。
フェザー=アージェント。自分より一足先にサイボーグ化された、緑色をしたX-LAY 1号機のテストパイロットだ。ちなみに私の赤は2号機。
「やぁ……」
彼は端正な顔立ちに、薄い笑みを浮かべた。――どこか無理があるように見えたのは、気のせいだろうか?
「こんばんは、フェザーさん。こんな所で、どうかなさったんですか?」
「うん――ちょっと、相談したい事があってね」
「相談? 私にですか!?」
思わず声を高くしてしまった直後、彼の顔が泣くように崩れ――いきなり私に抱き付いてきた。
「フェ……!!」
悲鳴をあげて振りほどこうとした、が……彼の様子が尋常ではないのに気付いて、思いとどまった。この感覚は、男女が愛情または肉欲に基づいて人を抱くのとは違う。身体中がガタガタと震えている、C.L.S.の端末を隠すために、伸ばしてある長い襟足の先までも。まるで幼子が母親に捨てられるのを恐れて、しがみ付いているかのようだ。彼がどんな表情をしているかまで、想像できるような気がした。きっと、眉間に思い切りしわを寄せて眉毛を下げて、誰でもいいから助けて欲しい、と、すがり付く相手を求めるような、眼差しをしているに違いない。
身体と同じく震える声が、彼の唇から漏れた。
「……君…は、自分が人間であるかどうか、分からなくなってしまう事はないか……?」
「――いいえ……」眠る前に私は、それを確認できている……
「なら、教えて欲しい、どうやったらそう思えるのか……君が真実、闇を祓う『レイ=バーミリオン』であるのなら――」
「……フェザー――」
私は子供をあやすように、両手でその背中を優しくなでた。震えが少しずつ治まってゆく。思い切って彼を抱き返そうとした、その時、
「――ごめんっ!!」
突然彼は私から腕を離して飛びのいた。その表情は抑鬱と安堵をないまぜにしたまま凍り付いていた。
「済まなかった……!」
一言そう言い残して、あっという間に彼は、床を蹴って、通路の果てへと飛んでいってしまった。
「…………」
私は一瞬立ち尽くし、それから振り向いて、フェザーが見ていた方を凝視した。
誰もいない通路。――しかし、人間の目と外見上変わらない、視覚センサーの可視領域を、赤外まで拡げると、何が彼をそうさせたのか、通路の陰に誰が何を持って来ていたのか、すぐに分かった。
「……エコー?」
「当たり」
両手にドリンクを持った、青いパイロットスーツを着た女性が、悪びれもせず姿を現した。エコー=ネイビー。こちらの方は私とほぼ同時期にサイボーグ化された、3号機のテストパイロットだ。
「訓練が終わった頃だろうから、一緒に飲み物でも飲もうと思って来たんだけど、お邪魔だったかしらぁ?」
と、彼女はドリンクのコップを、私に向かってほうった。
「――もうっ」と言いながら、空を舞ったそれを受け取って、ストローを口に含んだ。ちなみにこのドリンクに限らず、食物は、人間が食べるのと全く同じ物を、同じように楽しむ事ができる。大した消化系統である。
「……おいしいけど」
「ま、誰がどう恋愛しようとあたしは構わないけど」エコーは多少勘違いしてしまったようだが、訂正する間もなく問うてきた。「――今日は何をやらされたの?」
「ターゲットの破壊訓練と、宇宙空間での単独行動の実習」私は答えた。
「凄かったわ……本当に宇宙服なしで真空中に出られるなんてね。X-LAYのキャノピーを開けると、肌でじかに『宇宙』を感じる事ができるのよ。そのまま、ぽーんって、宇宙遊泳をしたくなったわ。宇宙の重力に任せて、ゆらゆらと漂いながら、幸せにね……」
と、つい遠い目をしてしまった。
「あーあ、もう、あなたのロマンチストぶりときたら!」エコーが肩をすくめて呆れた。
「それってまるで宇宙葬じゃないの。あなた希望してるって、前から話聞いてたけど、考えてもみなさいよ、そんな事のできる頑丈な機械の身体が、いつどうやったら分子に分解されるの。夢、見過ぎ。死んだ後より、今を考えなさい、『レイ=バーミリオン』。」
「無限の空間と時間の彼方なら、いつかは――」と反駁しながら、「機械の身体」と言われて、ようやく本題に戻るきっかけを掴んだ。「そうよ、フェザーは!」
「は!?」
口をぽかんと開けてしまったエコーに、私は誤解を解くためにも、さっきのフェザーとの一部始終を話した。「……だいぶ、ナーバスになっているみたい」
「自分が人間であるかどうか、ね……レクチャー受け入れてなかったのかしら」首をひねる彼女は、唐突に、自分の持っていたドリンクを、マイクよろしく突き出して、私に尋ねた。
「オホン、ではあなたにとって、今の身体になって一番変わったと思う事は?」
「生理がなくなった事!」
私は即答した。
「始まる前はイライラするわ、始まれば下着は汚れるわ、トイレも汚れるわ、下腹は痛いわ、手当ては面倒だわ、その上に集中力が落ちて上官に怒られるわで、いい事なんて一つもなかったわ! 20年以上短縮できて、せいせいした」
「そう――ね」今までずっと、エコーの顔に浮かんでいた、茶化すような笑みが、その時ふっと消えた。それから、彼女は呟いた。
「……でもそれは、あたしたちが『女』である事をなくした、という事も、意味する――わ」
機械を思わせる銀色の髪と、鉄の輝きを宿す瞳が揺れた。それは機械化によるものではなく、彼女が生来持っていた色が、忠実に再現されているのだそうだが――
「人間であるかどうかなんて、今はもう、自分の記憶で判断するしかないじゃない。……けど、あたしたちが女として扱われる理由が、どこにあるの? この胸のふくらみの意味は何? 子供だって産めやしないわ! ――その点だけは、ずっと疑問に思ってた」
そうか――身体に違和感を感じていた私、女に違和感を感じてきたエコー、人間に違和感を感じているフェザー。三人三様に、機械化された身体に悩みを抱えていたんだ。
「エコー……みんな同じに」
思わず私がそう言った、とたんに、うつむいたままの彼女の唇から、決然とした言葉が流れた。
「――あたしは生きるわ、男ではなく女でもないとしても、人間として。死んだ後の事なんか考えないし、人類にとっての『希望の力』なんて事も考えない……自分たちの都合だけで、人から生身の身体を奪っておいて、命まで奪われたらたまんないわ。あたし自身のために、戦って戦って生き抜いてみせる!! 『レイ=バーミリオン』、あなたとは――」
激してそこまで言ってしまって、はっとエコーは、済まなそうに声を落とした。
「……違う……所もあるわ。――ごめんね、大切な仲間に向かって、こんな事ゆっちゃって」
いいの、気にしないで、と、私は彼女の肩を抱いた(今日はパイロットを抱く日なのかしら? などと、心の片隅で思いながら)。彼女は勝気な笑顔に戻って、手を振って自室に帰っていった。
それから私は、いつものようにしてからベッドに入った。けれど、眠気はなかなか訪れてくれなかった。
(……エコーの疑問は分かったけれど、フェザーは何を疑問に思っていたのだろう?)
4. FEATHER=ARGENT
――同じ頃、フェザー=アージェントは、着替えをする気力もなく、自室の床に直接腰を下ろして、膝を抱えてうずくまっていた。
(……失敗した……)
ドクターに話しても、もうどうにもならないと思ったから、思い切って『彼女』の所に行ってみたけれど、本当にもうどうにもならないのだという事を、思い知らされただけだった。
――薬を飲む気にさえなれない。
(……彼女たちはまだ、C.L.S.に慣れ過ぎていないんだ)
おそらく2人とも、手動操縦よりはるかに勝る機体の反応に、有頂天になっているのだろう。自分にもそんな時期があった。
例えばそれは、指がキーボードに馴染んで、信じられないくらい速くタイピングができるようになるのと似ている。しかし、問題はその先にある。
指がキーボードを叩いている実感がある内はいい。しかし、慣れ過ぎてしまうと、指をどう動かしているか意識せずに、ディスプレイに字が並ぶ事になる。
――今、自分は、手動でどうだったかという感触を完全に省いて、意識だけでX-LAYを操縦している。
そう……1個の戦闘機械。
訓練中はそれが仕事だと割り切れる、だが、機体から降りてから、どうしようもなく頭を占領する、1つの疑問。
(俺は……人間なのか?)
X-LAYに乗っている間、当然「肉体」の認識はないし、「人間」であるという事さえ考えられない。降りている間も――脳と脊髄以外、全て機械化されている肉体に、「人間」を感じる事はできない。いくら外見が似ていても、それは表面だけの事。
機械に果てしなく近付き、それを超える戦闘行動を要求されながら、なおかつ人間のために戦わなくてはならない、その矛盾。
(――人を機械に近付けておいて、人間であり続けろなんて、そんなふざけた話があるか……!!)
……C.L.S.被検体における、「肉体」「人間」といった概念の認識不能は、数年前から軍にも認識されており、そういった精神面をサポートする、ドクターの存在もあった。
しかし、人間の精神という、物質的には不可視の存在に対する医療は、今もって旧時代から、さほどの進歩を遂げているものではない。
精神医療は、精神療法と薬物療法の2つに大別されるが――
前者の精神療法と言うのは、言葉の聞こえはいいが、有り体に言って悩み事相談と何等変わらない話し合いであり、ひどい場合には雑談にしかならない。
医者の物言いは、状況を変える事はできないのだから、自分を変えろ、自分の物の見方を変えろ、という事だ。
話術でその時はふんふんと聞けても、後になったら「そんな事が言われてすぐにできるなら、誰も医者になど行かない」というような事しか、その道のプロであるはずの、医者でさえも言ってはくれない。もしかしたら変われるかもしれない、と思った期待が、何時間か何日か後には、変われる訳がない、という同じ大きさの失望に化ける――それを一体何十回繰り返してきただろう。
そんな物なので、それが効を奏する事は極めて稀である。
いきおい、後者の薬物療法に頼る事になる。
一般に
……ところが、そういったレベルの薬ですら、精神に耐え難い混乱を巻き起こすには、十二分なのである。
薬は上手く効けば、絶大な精神安定効果を発揮する。何故自分はこんなつまらない事にこだわっていたのだろう? と、悩みそのものを忘れて、春の陽射しの中を散歩しているような、明るい気分になれる。客観的に見て困難な状況にも、よく耐えるようになる。
しかし、脳のどこかが、賦活あるいは麻痺させられているという自覚もなしに、人格を変えられてしまっている――こんな小さな化学物質の固まりに過ぎないくせして!――というのは、向精神薬のとてつもなく暴力的な側面であって、面白いものではない。「精神的拘束衣」とはよく言ったもので、自分の精神にはめられている「枠」を感じる事すらできないのは、ある意味で手錠よりも数段タチが悪い!
1回、それが我慢できなくて、渡された薬を故意に飲み忘れた事がある。……最初は妙に胸が騒ぐような高揚感を味わえたが、やがて理由の全くない不安感に包まれ、周囲が自分とは違う世界のように見える、自分がしている事すら自分と思えない、という感触が出現するに至って、慌ててドクターの所に駆け込んで事情を打ち明けたら、自分の判断で勝手に薬を止めてはいかんと、頭ごなしにこっぴどく叱られた。どうやら禁断症状だったらしい。
以来ずっと、薬は飲み続けだ。長い事続けて、胃や肝臓が悪くなりはしないか、という心配は、今の肉体には不要(それだからますます人間だという自覚が薄くなるのだが)ではあるけれど――薬の制御を受けない、自分本来の精神が、どんな
薬が効いているとこうなるが、効かないともっとひどい目に遭う。
精神の葛藤が、薬で抑えられる範囲を超えそうになると、自分は苦しくなって当然のはずなのに、苦しくなれない、という事態が起こる。薬が強制するベクトルと自分の意志とが、不整合を起こすのだ。どこまでが自分でどこまでが薬なのか――筆舌に尽くし難い激烈な不快感。全く……「抑え込む」事はできても、「癒す」事は1つもできない癖に、混乱させる事だけならいくらでもできるとは!!
そして、葛藤が薬の制御範囲を完全に超越してしまった時に、本物の地獄がやってくるのだ。
そうなってしまうと、薬の効果などというものは完全にフッ飛ぶ。大体において本当に楽になりたい時に、これっぽっちも楽にさせてはくれない。灰色のよどんだ意識の中を、好き放題にガンガンと乱反射し続ける苦悩。
何が苦しいと言って、自分がいかな苦痛の中にあっても、周囲にはそれを気取られてはならない、という事以上の苦しみはない!! 苦悩と混乱を押し隠して微笑む度に、平静を装って操縦や会話をする度に、自分の中に残された僅かな正気が、錆び付いた切れの悪い刃物で、ぎりぎりと削り落とされてゆくように感じる。縛られた魂の傷口から、焼けるような痛みと共に、じわじわと血が流れ出す……!
こうなるともう、許容量上限の頓服を飲み下して、薬が何も考えられなくさせてくれるまでの時間を、耐え抜く以外の手段はないのだ。
……20分ばかり丸くなっていて、フェザーはようやく、薬を飲む気になった。誤魔化しにしかならないと分かっていても、今は少しでも楽になりたい。
のろのろと立ち上がって、薬袋に手を延ばす。頓服を――
「――つ……!」
台紙から飲む分の薬を外す時に、プラスチックの端を引っ掛けて、指先を切ってしまった。苦痛に歪んでいた彼の表情が、さらに崩れた。
痛覚はある。しかし指先から血は出ないし、自然に治る事もない。小さく開いた白い傷口――次のメンテの時に、「直して」もらわなきゃ、な……真空中でも大丈夫な物が、薬の台紙位で切れるんじゃねぇよ……。
薬を飲み下してから、机上の端末に向かった。ディスプレイに、昔データベースからダウンロードしてあった、旧時代の詩人の作品を呼び出す。
〈――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる
その不可抗の予感
わたしもうぢき駄目になる〉
……全くだ……これ以上精神病の苦痛を正確に表現したフレーズに、お目にかかった事はない。この詩の作者である、コウタロウ=タカムラという芸術家は、心を病んでしまった妻の気持ちを、自分でも感じてあげる事ができたのだろうか? ――おそらくは医者以上の鋭さで。そもそも医者は、患者の苦痛を本当に理解しているのだろうか? こういう症状が出たらこういう病気で、こう言ってきたらこう言い返し、この薬を与えればいい、という、ノウハウがあるだけではないのか……!?
それから、重たい機械の身体を、ドスンッ!! とベッドに投げ出して、一筋に天井を見上げる――
(……こんな状態で、俺はいつまでもつんだか……!)
――そんな彼の精神が破綻を来す時は、もう間近に迫っていたのである。
葛藤があまりにも強くなると、眠って逃げてしまいたいと切に願うにもかかわらず、苦悩ばかりがいよいよ冴え渡って、眠りにすら入れなくなる。入眠剤を処方されているが、それでは足りなくて追加眠剤を口に運ぶのも、毎度の事だ。
薬による誘導は、自然の眠りにある心地よいまどろみを一切与えず、突然に意識を断ち切る。そして、眠ったという自覚も満足感もないままに、次の瞬間、と言っていいほどの速さで、何も事態の好転していない、絶望的な朝が来る。
その日もフェザーにとっては、普段と何等変わる事のない不機嫌な目覚めであり、苦しい事この上ない訓練だった。
――飛ぶ、撃つ……1個の機動兵器として。俺は何なんだ? こんな事を考えていてはいけないのだが、考えなくなったら、それは人間と言えるのだろうか?
「フェザー!」
実験船からぴりぴりとした叱責が飛んできた。
「C.L.S.とのシンクロ率が落ちているぞ。もっと集中してもらわないと」
〈――…ラジャー〉
そうだ、操縦以外何も考えずに――いや……考えるなと言われても無理だ。俺は、人間でいなければならないのだろう? そうじゃないのか!?
後方の実験船から、新たなターゲットが射出されたのが見えた。ああ、ターンを――しかし、「雑念」で埋め尽くされていく、意識が――!
決定的な瞬間は、その直後にやってきた。
反応の遅れに、上官が彼に向かって怒鳴ったのだ。
「いい加減にしないか!! 搭乗中は、戦闘機械に成り切れ!!」
――バチ―――――ン!! と、フェザーの意識の中で、真っ赤な怒りがスパークした。人間であって機械に成り切れ!? いい加減にすべきなのはそっちだ!!
瞬間的に司令室に激しい殺意を向けた――
X-LAY 1号機のコンピューターは、その意志の動きを、ターゲットではなく、実験船への攻撃命令として受け取った。
違う、今のはなしだ! と、彼が訂正しようとした時には、既に何もかもが遅かった。――フュージョンガンは、最大出力でプラズマ流を射出してしまっており、それが司令室を一瞬で焼き切ってしまった。ザアッ、という激しいノイズが一瞬脳に走り、それきり何も聞こえなくなった。
「――ワアアアアアッ!!」
フェザーはX-LAYのコックピットの中で、身をよじりながら実際に絶叫した。同時に、乱射されるショットが、実験船を破壊していった。
俺がやってしまった、本当に取り返しが付かない事を、もう絶望だ、俺が殺した、誰も許してはくれまい――自分自身でさえ、許す事はできない!!
認めたくないがこれは現実だ、しかし、こんな事をしてしまって、自分はもう耐えられない、生き続ける事すらできない……!!
その場に自分の意識が存在している事、そのものが苦痛になる、極限の罪悪感が、今のフェザーの総てだった。
もう駄目だ、ずっとこの苦しみに苛まれ続けるだけだ。壊れるしかない、狂うしかない――何故だ!? それでも俺が考え続けているのは!?
苦痛の嵐の果てに……唯一の暗い出口が見えた。
――死んでしまえば、自分自身をも破壊してしまえば、もう苦しまなくて済む。それしかない。
この状態で、本体の命を絶つ事はできない。しかし、外から自分を攻撃する事ならできる!
自暴自棄となった精神の力が、X-LAYへと逆流し、兵装のセイフティーを完全破壊した。C.L.S.インターフェイスから、幾つもバチバチと火花が散った。
荷電粒子ビーム砲のリミッターが、ギシギシと音をたててきしみ、外側に曲がり、ついには弾け飛んだ。
後は、ロックオンレーザーを発射するだけだ―――自分自身に向かって。
(これで終わる――楽になれる)
葛藤でいっぱいになった精神の片隅に、一欠片の安堵を宿して、フェザーは機体に最後の命令を下した。
……ビルの屋上から足を蹴って、もう飛ぶ事のない鳥になる、地面に激突するまでの数瞬の時間にも似た、レーザーが発射されてから、Uターンして、緑色のX-LAYに突き刺さり、爆発して木っ端微塵になる刹那――残される2人の仲間に向かって、彼の最期の意思が飛んだ――
〈……俺はもう、判らなくなったから先に逝くが――
お前たちは、見失うな――
どこまで機械化されようとも、俺たちは間違いなく、人間なのだという事を―――〉
その瞬間、仮眠室で横になっていた「レイ=バーミリオン」は、弾かれたようにベッドから跳ね起きた。
「……、フェザー―――!?」
彼女は怯えた表情で、自分の胸を抱き締め、瞳をきつく閉じた。
「何てひどい夢――自分が人間でなくなっていく感触……いやっ……怖い、やめて……っ!!」
――それから間もなく、私たちにフェザーの死が知らされた。
追い掛けるように、C.L.S.開発の中止命令が下された。
「納得できません!!」エコーが司令室のデスクを、力任せに――一歩間違えばデスクを破壊していた程の勢いで叩いて、猛然と抗議したが、もちろんテストパイロットの意志などで、軍の決定が覆るはずもない。
XX-LAYを封印する、パイロットである私たちも……と告げる上官の表情には、フェザーと同じ事故を起こされたらたまらない、という怯えが見え見えだった。
「……ひどいよ……あたしたち今まで何のために頑張ってきたの!? あたしはフェザーと違う、ちゃんと戦えるのに……! ――くそお…っ、こんなに悔しいのに、涙を流す事さえできない身体なんて――!!」
と、悲痛な声で叫ぶエコーに、もう掛けてあげられる言葉がなかった。
――時は慌ただしく流れ、今や自分の半身とも思えるX-LAYが封印されるのを、胸が千切れそうな程の悲しみと共に見送り、そして、私たちもコールドスリープカプセルに入れられる直前、今となっては、互いにとってたった1人になってしまった仲間に、別れを告げる時間が与えられた。
「――今まで一緒にいられて、楽しかったよ。……じゃあね」と、去っていこうとする私の腕を、エコーがはっしと捕まえた。
「……さよならなんて、言わないからね。いつか起きたら、また、会って、あの時みたいに、ちゃんと話をしよう、――必ず」
それから、残った腕の小指を、私に向かって差し出した。
「……約束、だから……ね……!!」
泣きそうに
無言の内に、小さく頷きながら、しっかりと絡み合わせた小指の感触を最後に、私は凍り付いた眠りへと入った―――…
起こされる事などないと思っていたのだが、現に私は起こされた。第一次敵本星攻略戦が失敗して、第二次攻略戦でX-LAYを実戦投入すると言う。封印された機体を引っ張り出すのだから、眠っている間に、軍は――ひいては人類は、余程追い詰められてしまったようだ。
長い眠りは、意識していなければ存在しなかったのと同じで、エコーに会っても、昨日の今日という感じで、何か照れ臭くて、まともな話はしなかった。その内せめて飲み物でもと思ったのだが、どういう訳か彼女は、日を追うごとに無口に、無表情になってゆき、声を掛ける機会を逸してしまった。
彼女はどうなってしまったのか、私はどうなってしまうのか――
そして、M.C.0185 9/22 2:00NIGHT、“OPERATION RAYFORCE” は、発動された―――。
5. HARUKA=SHIRAHAMA
外惑星連合宇宙軍の片隅で、端末に向かって仕事をしていた、まだ少女と言っていい女性は、風のようにキーボードを叩いていた指を、ふと、止めた。
「…………」
赤いカチューシャをあしらった、肩より少し長いストレートの髪と、スカイブルーの瞳が揺れた。
「――どうかしたかね? ハルカ君」
「ネックス課長っ! な……何でもありません」
赤毛の上司がパーテーションの後ろに来ていて、飛び上がりそうになったのを何とかこらえた。
「そうか。それなら結構」
そう言ってすたすたと去っていく上司の足音と同時に、他のパーテーションから漏れ聞こえる声を拾ってみる……
「――今日の交替制勤務者数は、昨日と変更ありませんね? 食堂さんの方にその人数だけ、食事を注文しますので、ええ」
「ですからソニックという者は、総務には在籍しておりません。他部門への電話のお取り次ぎはできませんので。……ったく、こんな所にまで、下らねー売り込み電話をかけてくるんじゃな――――いっ!!」
「軍内報の原稿を、早く送信してくれないと困るんだがねえ。見出しはもう『“OPERATION RAYFORCE” 成功』で決まってるんだよ。失敗!? 縁起でもない、頼むからやめてくれよ!」
「いくら任務で忙しいって言ったって、定期健康診断は受けてもらわなきゃいけないんです、法律でそうなっているんですから。それに軍で受ければタダなんですよ? 病院行って高い金払って人間ドックなんて馬鹿馬鹿しい。……お分かりになりましたら、診療所の方へ行って下さいね」
「公傷の申請が、受理されましたのでお知らせします。義足も治療代も、保険の方から支給されます――だから何回言わせれば気が済むんですかぁ、僕のナチっていう名前は、旧時代のナチス・ドイツとは、何の関係もないんですってば!」
……話の内容の一部はまあともかくとして、外惑星連合宇宙軍総務部は、今日も、平和です―――。
〈はい? 自己紹介、ですか? ――総務部第1厚生課所属の、ハルカ=シラハマです。今年で、二十歳になりました。機動兵器の操縦適性はまるっきりなかったみたいで、スク
ールの情報機器操作の成績が良かったんで、総務に配属されました。直接戦いに力を貸す事はできませんけど、せめて皆さんが気持ち良く働けるよう、縁の下の力持ちとして、一生懸命頑張っています。私は主にパイロットスーツの支給などを担当しています。
――えっ、息子さんが戦死された!? それは……お気の毒に、何と申し上げたら良いかわかりません……。でもせめて軍の方から、弔慰金を支給させて頂きますので。ご存じないんですか? 大きい組織ならどこでもやっていますよ。民間さんには、お得な生命保険があるようですけど、ウチの場合は、結局税金ですね……で、でもっ、金額は決して遜色ありませんから。ただその分、揃えなきゃいけない書類とか、得なきゃいけない承認とかがすっごく多くて、半端じゃなく大変なんですよネ……ため息出ちゃう程。――あ、それから、弔慰金の領収書には、受領のサインをして、早目に返送して下さいね。それがないと、上司に仕事の完了報告ができませんので。
いやに事務的な言い方をするもんだな、ですって? ――そりゃそうですよ、仕事ですから。いちいち考えていたら、事務処理なんてやってられません。……2年前入隊したばかりの時、バカみたいに大量に、弔慰金処理をやらされて、不感症になっちゃったのかもしれません。
もういいですよね? 仕事に戻りますんで。私こう見えても忙しいんです。仕事、仕事っと……痛ったぁ―――いっ!! 変なツッコミ入れるから、書類で指切っちゃったじゃないですか! あ――、血が出てるよぉ……その内治りますから別にいいですけど……〉
――などという事を、つい長々と空想してしまって、ハルカは1人笑った。
それからはたと我にかえり、さっきキーボードの指を止めさせた原因である、ディスプレイのデータを見つめた。
女性用の赤い、特注のパイロットスーツ――。
服の製造工程が進化した現在では、たいていのサイズには既製品で対応できるのだが、先日、2着の特注品支給の申請があった。
わざわざ特注したという事情も、薄々は読めている。“OPERATION RAYFOECE”。たった2機の攻撃機が、本星への降下部隊になるという。あまりに重い任務を背負わされた、2人のパイロットに対する、せめてもの心尽くしなのだろう。
このパイロットスーツを着た女性に、人類の運命がかかっている。服のサイズから推察するに、その、決して頑丈とは言えないであろう双肩に。
もしかすると、今頃、『彼女』は――
でも、もう、私が『彼女』にしてあげられる事なんて何もない。私にできるのは、生き残った人たちに、帰る場所と少しでも良い待遇を提供する事と、遺族の方に弔慰金をお支払いする事だけ――
〈Trrrrr……〉
「はい、総務です」
〈あ、あの、先日除隊した者なんですけど、恩給の件について、質問を――〉
「――担当のラピートに代わりますので、少々お待ち下さい……」
保留・転送。
「あ、ラピートぉ? 281番に恩給の質問電話。よろしくね」
〈あいよっ、任しとき!〉
……受話器を置いて、小さくため息をつく。
どんなに深刻な事態をも、軽く笑って「仕事」にして、所属している人間たちの、総ての状態を見続ける――入隊時の社会保険の申請に始まり、制服、食事、住居、健康診断、公傷、そして除隊、そのアフターケアも……入隊前から除隊後まで、うっかりするとあの世まで、それが総務という仕事。
ハルカはその間に着信していたデータを持って、上司のパーテーションへと赴いた。
「うむ、ご苦労だったね。ハルカ君、君の仕事はいつも頼りになるよ」
「そう言って頂けると嬉しいです、ネックス課長。――他に何か、急ぎの仕事などはありますか?」
「急ぎは特にないが――」ネックスは少し声を落とした。「……ハルカ君、君はこれからが大変だ。今実行中の作戦では、残存艦隊の全てが陽動に出ている。おそらく、死亡者数も相当なものになるだろう。弔慰金請求と支払いの手続きで、忙殺されるとは思うが、よろしく、頼む」
「……そうですね」
神妙な顔でうなずいて、ハルカは自分のパーテーションに戻った。パイロットスーツのデータをクリアして、別の仕事にかかる。そうね、きっとこれから、弔慰金の仕事が忙しくなるわ……でも大丈夫、気になんかしない、仕事の量が増えるだけなんだから。
その仕事が終わりかけた頃に、ネックスが再び、沈痛な面持ちでハルカの所にやってきた。
「課長、…何か?」
「ハルカ君――」彼女の反応を探るような表情で、彼は口にした。「……マリー=シンメイが、亡くなったそうだ」
ハルカは絶句した。
「――マリー=シンメイって、まさかっ、この間戦死された、ホーク=シンメイの奥さん……!?」
「残念ながら、その通りだ」
「そんな……っ、ついこの間、旦那さんの弔慰金を、マリーさんの口座に、振り込んだばかりだったのに……!!」
一度だけ、マリーと映話で話した事がある。夫を亡くした悲しみと、それに耐える芯の強さとを、ふっくらとした頬に包み込んだ、優しそうな
「旦那さんの事に加えて、今回の作戦の後方支援で、無理が重なっていたんだろう……仕事場で心臓発作を起こして、移植手術が間に合わなかったんだそうだ」それきり、ネックスは普段の顔に戻って続けた。「――弔慰金は、ホークのお母様である、ヤヨイ=シンメイの所に行く事になる。辛いかもしれんが、よろしく頼む」
――うつむいたハルカの唇から、蚊の鳴くような声が洩れた。
「……わかっています……」
「ハル――」
叱責の口調で言い掛けたネックスに、彼女は叫んだ。
「――大丈夫です! 仕事ですから!!」
もう言葉になっていない、うろたえた励ましを残して、彼は出ていった。
1人きりになったハルカは、デスクに突っ伏して、声を殺して泣き続けた。
……弔慰金の処理なんて、これまでずっと、大丈夫だと思っていた。耐えられると思っていた。
なのに、顔を知っている人が亡くなっただけで、涙が止まらない……知らない人だったら何とも思ってこなかったなんて、私って、何て薄情だったんだろう――!
今まで平気だったのは、悲しい出来事に慣らされてしまったからではなくて、仕事だからと言い訳をして、ご遺族の悲しみから目を背けていただけだったんだ!!
家族を残して逝ったホークの無念、夫に先立たれ、それでもなお、過労死するまで働かざるを得なかった、マリーの苦しみ、息子と嫁を相次いで失ってしまったヤヨイの、もう言葉にならぬ悲しみ――また1つの悲劇が生まれた。
ホーク1人の死がこれだけの悲しみを呼ぶのに、――今陽動に出ている艦隊の、数え切れない程の人の死は、一体どれだけの悲しみの嵐を巻き起こすのだろう!?
見えるよ……敵無人機に次々と殺されてゆく仲間が、聞こえるよ……彼らの断末魔の叫びが、そして残される者の慟哭が……!
来たるべき膨大な悲しみの予感が、今、ハルカを圧し潰そうとしていた。
軍に勤めている人がいて、その家族や親戚や友人がいて、軍の外にも、もっともっと大勢の人がいて、きっとそのほとんどは、まだ死にたくないと願いながら、コン・ヒューマンの脅威に怯えて生きている。
コン・ヒューマン、何で人類を殲滅しようとなんてするの!? 人類があなたに頼りすぎたから? それとも人類が憎いの!? 人類が本星を後にしてから、もう50年以上過ぎているのよ。私も私の母さんも、宇宙で生まれ育った、私たちあなたに何もしてない!! もぉ……いいでしょう、許してよ。私たちをそっとしておいて、これ以上悲しい目に遭わせないで……!!
誰か――誰でもいいから、この大き過ぎる悲しみの流れを止めて――!!
……悔しいよ……私には何の力もない。私にできるのは、生き残った人たちに、帰る場所と少しでも良い待遇を提供する事と、遺族の方に弔慰金をお支払いする事だけ!
――『彼女』――貴女なら、止められるの? 今、戦ってくれているの!? でも、私が貴女にしてあげられる事なんて、もう何も―――!!
(―――……!)
その時、ハルカの頭に閃いたものがあって、彼女は涙でベトベトの顔を上げた。
あと1つだけ、してあげられる事があるかもしれない。役に立つかどうかはわからないけど。
――彼女はやにわにラップトップ端末を立ち上げ、さっきのパイロットスーツのデータを呼び出すと、『彼女』の細い肩を抱くように、ディスプレイを両手で掴んで、全身全霊で、力の限り絶叫するように念じた。
《お願い、頑張って!!
そして絶対に勝って―――――!!》
その瞬間、ハルカの叫びに呼応するかのように、死の悲しみを知る総ての者が、一斉に空を見上げ――彼らの想いが、光となって舞い上がり、宇宙の闇を貫いて、『彼女』の許へ飛んでいった―――…
………『彼女』の悲しみや苦しみまで、思いやる余裕はなかったかもしれない。
けれど、一体どこの誰が、『彼女』の不幸や失敗を願うような、マイナスの気持ちで、『彼女』に係わってきただろうか。
たとえそれが、自分だけは生き延びたいという、つまらない自己保存本能のみに、根差したものであったとしても。
生けるものの持つ力が、『彼女』の生体組織を介して、X-LAYの各種兵装に、物理法則を超えた作用を及ぼした――位の事は、なしたかもしれないのだ。
マイストロノフ E.ノイマン著「機械世紀の贖罪」より―――
[人類の残存兵力全てを投入した “OPERATION RAYFORCE” において、C.L.S.応用機動兵器であるRVA-818 “X-LAY” が、データ以上の戦闘能力を発揮し、ついに人類は勝利した。
RVA-818と、その生体ユニットである搭乗員の消息は、未だ明らかになっていない――しかし『彼女』は間違いなく、人類にとっての「
〈FIN〉