1994年9月某日
仕事が終わって、今日も夕闇の中をゲーセンへと急ぐ。そりゃ「仕事」だもの、忙しかったり疲れたりする事もあるけど、少なくともモニターの向こうみたいに、一瞬気を抜いたら殺されるって世界じゃない。総務のOLなんてね……ホント甘い世界に生きさせてもらっている――
そんな事を考えながら、播磨坂を上り詰め、春日通りで信号が変わるのを待つ。目の前で闇の中を、たくさんの車がびゅんびゅん走ってゆく。光るライトが……まる、で……もしそれに当たったら――ふっとその光景に1~2面の風景がオーバーラップした時、気が付いた。
闇に走る車のライトは、敵弾と何等変わりがない。当たれば死ぬ。
なんて事だ――現実にだって命の危険はいくらでもある、ただこのガードレールに守られているだけだったんだ。「いいひと。⑤」の一節が、鮮明に想いだされた。「いいか、人間は守られている。/国に守られ法に守られ、社会通念に守られモラルに守られ、/自分の周りにある無数のものから守られている。/だがしかし、それらに守られているうちは、生かされているだけだ。/自ら生きようと思ったものだけが、その枠を一つ一つはずしていく。/その時悩み、つまづいて、カベを感じることができるのだ。」
私も枠を1つ外して、毎日壁を感じまくっている。……ふと思い立って、ガードレールの外を歩いてみた。物凄く恐くて、数歩で中に戻ってしまった。モニターの向こうなら、平気でいるのに――
ゲームと現実の区別が付かなくなるなんて、何処の誰が言い続けているの? レイフォースでフッ飛ばされたって、例えば格闘ゲームで真っ二つにされたって、自分は何のダメージも受けない所に、現実とゲームを峻別する見えない壁があるのに。そして今日も私は数回、「彼女」を殺してしまう事になる。その痛みを感じられない事を、申し訳ないと思いながら。