1994年12月26日

 母のドタバタで、1週間ばかり茗荷谷のゲーセンに行けないでいたら、レイフォースの台の位置が1つ左に変わっていた。条件が悪くなった、蛍光灯が反射して、左上がひどく見にくい。それにもうじき、私はここに通えなくなる。――悲しいばっかりで、全然楽しめなくて、3面で終わってしまい、コンティニューもリターンマッチもしなかった。
 これは、もうお前はレイフォースをやるなという、潮時を示しているのだろうか。別れの悲しみを減らすために、突き放してくれているのだろうか。でも……
 「ああっ女神さまっ⑩」の中に、主人公が飼っていた犬を亡くして、もう犬は飼うまいと思った理由を語るシーンがある。「嫌なんだ/可愛がれば可愛がっただけ/存在が大きくなれば大きくなっただけ/失ったときの心の穴が大きくなるから」それを聞いた女神は、それだけの愛情を注がれた犬はきっと幸せだった、と前置きして、こう言うのだ。「別れのときの悲しみの大きさは、愛情の深さの証明なんですから――――/悲しみを恐れていたら/何も愛する事はできないわ」
 そう、私は、別れの時自分がどんなに悲しい思いをするか、一つも恐れずに、手加減なしにレイフォースを愛していた。こんな別れが来るなんて、一欠片たりとも考えもしないで。J&Bのレイフォース……お前は私に愛されて、幸せだった……? 私のこの辛い思いは、お前に注いだ愛情と、等しい重さなんだよね……!?

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