1994年9月24日

 話は休み前の夜から始まる――仕事の打ち上げで、職場一同で茗荷谷で飲んだ(酒の飲めない私がシラフで通した事は言うまでもないが)。帰り道、バスで後楽園に出るという皆から離れて、私はいつものゲーセンに行こうとした。まだコンスタントに3面クリアできなくて、2コイン目で G.P.M.S.-2 に追い返されるこの頃の日常、今日はどう
してもギガを潰したい――。職場でただ1人、私のゲーセン通いを知っているS.Nさんが、声をかけてきた。
「新宮さあーん、バスはそっちじゃないよおー」
「済みませぇん、今日はどうしてもゲーセンに寄って帰りたいんですぅ」
「何でぇ?」
「明日からゲームに関する文章を書きたくて。……多分私の最高傑作になります」
 じゃあ書けたら見せてね、と、彼は私を見逃してくれた。
「頑張ってねー!」
「どうもぉー!」
 手を振る彼に笑顔で答えたその夜、気持ち良く1コインでギガを倒す事ができた  。
 
 そんな訳で、懸賞論文「左利きのレイフォーサー」である。
 弟が以前「去年が『私をガイアポリスへ連れてって』なら、今年は『私にコン・ヒューマンを倒させて』か?」と茶化してくれたが、本質的には合っているけど、そんなとこまで全然行ってね―――よ。……まぁそれはともかく、3連休の間、延々と文章を書き続けて推敲しまくって、しこたま疲れた。どうやっても枚数が足りなかったけど、最大の気合でやれるだけの事はやった。思い入れには絶対の自信がある。これが掲載されないとしたら、選考委員が余程ひねくれているか、郵便事故で届かなかったかのどちらかだ、とここで断言しておく(結果:「左利きのレイフォーサー」は、ゲーメストNo.147 P.128に掲載されている。豪語しておきながら3席の2番目、掲載ライン最低線ギリギリという、薄氷の勝利だった)。
 休み明け、コピーした原稿をS.Nさんに見せた。彼は一読してにっこり笑った。
「すごいなー。――生き甲斐になっちゃってる」
 
 余談ではあるが、「左利きのレイフォーサー」を書いている間中、私はTシャツ代わりに、高校時代の体操服を着ていた。「TAMA」という。神奈川県立多摩高等学校。本当だってば。

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