今、ハイテク代々木で――かつてない緊張に包まれている。Y.Nさんという人と、パソコン通信でレイフォースの話をしていて、エンディングに言及する事になってしまい、自分の手でエンディングを見るために、何コイン注ぎ込んででも最後まで粘る、というプレイをしようとしているからだ。5月6日、弟もこんなにドキドキしてたんだろうか。もし待ってしまう人がいたら、ごめんなさいね……!
 2コイン目まではともかくとして、6面後半から先はもうヤケクソ、7面は完全にオヤジコンティニュー、何コイン使ったかは聞かないでくれ。それでも私は、全身全霊で戦い抜いたつもりなんだから。確かに感じたよ……もはやプレイヤーの操作を拒絶し、コントロールタワーをロックオンしてレーザーを放つのは、きっと「彼女」自身の意志だ。結末が自らの死であっても、「Q.E.P.D.」の旋律に包まれて宇宙を漂う「彼女」は、泣きたくなるほど幸せなんだろうと思う――…!!
〈 MIND BOMB 〉、いつものプレイとは比べものにならない、他の何もかもをフッ飛ばしてしまう程、私を引き込んでしまうゲームって……! そんな思いで店を出る時、自分が思い切り汗をかいている事に気が付いた。もう12月だよ、いつまでも続くと思えた、暑い夏はとうに去って、すっかり冬なのに――私にとっての夏は、レイフォースと過ごしてきた1994年の熱い夏は、まだ、終わってないよ……!!


 ここのところスランプだ――――(泣)。実力を出し切れれば、1コインで6面にだって行けるはずなのに、なんで? なんで1コインで4面越えられなくて、オーディンで2コイン終わっちゃうの!? ……でも、始めた頃は1面で全滅してたし、4面が奇跡だった頃もあったんだよね。前に進む事だけで精一杯だった時期を過ぎて、振り返れるだけの距離を、私は歩いてきたんだ……上手くいかないと不安を感じる所まで――。楽しむためのゲームで、逆にストレスためてどーすんのよぉ。けど引き下がらないよ、今、私の強さが問われているんだ。
 とか何とか気を付けていたって駄目な時ゃ駄目、今日は「ギラソルとアスラのばっかやろ――――お!!」的なプレイで、もう落ちるとこまで落ちたぜの絶不調。あまりにしおしおで、御茶ノ水に行く気もしなかった。正直怒りのあまり血管が切れそうになった。けれど、(楽しむためのゲームで、逆にストレスためてどーすんの)という思いが、私の意識をプラスに転換した。駄目なら駄目で、自分を責めてもいい事ない、ありのままに受け入れるしかないんだ。次で失敗しなきゃいい。悔しさをバネにするというのでは、あまりに悲愴だから、もっと自然に、優しく、ね。
 帰り道、車両故障で横須賀線が止まっていたので、東海道線に回って、普段は地下にもぐりっぱなしの、東京~品川間の車窓を楽しんだ。――鉄道ファンというのは、普通の人間にとっては手段であり通過点でしかない、車両自体や沿線の風景を、楽しむ事のできる人種だ。暗闇の中に林立するビルの明かりが光る、地上から5面の風景を見たら、こんな風なのかな――…そうだ、ゲームだって、途中経過を楽しむ事を放棄して、結果だけで見てしまったら、悪い意味でのゲーマーになってしまうよ。ちょっと、反省。


 自分がスランプから抜けるのと入れ代わりに、茗荷谷の台の調子が悪くなった。レバーの反応がどうも変だ。そして今日、決定的な事態になった。下方向の反応がおぞましく悪い! だましだましプレイしていったが……自機がこういう意味で思い通りに動かせないというのは――これほど恐ろしいレイフォースは、今だかつてやった事がない。慎重の上に慎重を重ねたせいか、3面までは奇跡的にノーミスで抜ける事ができたが、4面の攻撃にはもう歯が立たず、いくら何でも、そのままコンティニューする気にはなれなかった。
 奥のカウンターに座っていた、気さくそうな店のおじちゃんに事情を訴えた。
「済みませ――ん、今やったレイフォースの台、下方向のレバーの利きが、ものすごく悪いんですけど」
 おじちゃんは面倒だとかいう素振りを全く見せずに、ドライバーを手にして、快く台の様子を見に来てくれた。慣れた手つきでコンパネのフタを開ける。うわちゃ―――、これは素人の私が見てもすぐに分かる、レバーを支えている板が、半分外れてブラブラいってた。こんなんで私は良くゲームやってたね。おじちゃんはきりきりとネジを締め直すと、今度は足元を開けて、サービススイッチ入れてから、笑顔で私に「どうぞ」と椅子を勧めてくれた。
 ありがとうございます――温かい思いを胸にして、おじちゃんのくれた1クレジットと私が用意していた1コイン、つまり2コインで、気合で戦車地帯を突破、初めてダイナモに到達する事ができた。……話を交わす事がなくても、一緒にゲームをしている仲間がいて、見守ってくれる店の人がいて、人のぬくもりに満ちた場所、だから私はゲーセンが好き。ずっとこうして、ここに通えたらいいな……ずっと……。


 何という事だろう―――。
 昨日、母が倒れた。最近あまり具合が良くなかったのだが、ついに身動きができなくなったのだ。年が明けたら即入院だという。
 母の具合が心配なのはもちろんだし、入院後の家事の負担も家族と話し合わなきゃいけないけれど、今の私にとって一番ショックなのは、もうゲーセンには通えなくなる、という事だ。会社から定時で帰って、家族の夕食を作らなくてはならない。たとえ20分といえども、「遊戯」などのために、自分を含めて家族を待たせる訳にはいかないのだ。
 「左利きのレイフォーサー」の挑戦は……ゲーセンにレイフォースがある限り続くはずだったのに……こんな形で、終わりになっちゃうの……? 残り時間はまだあったのに!
 例えば私が女じゃなかったら、家事を強制されるジェンダーでなかったら、結果は違ったんじゃないか……!? レイフォースを理解する上での最大の強味が、レイフォースをプレイし続ける上での、最悪の弱点になるなんて―――!!
 今日も家事を手伝うために、ゲーセンに寄らずに帰らなきゃならない。駅向こうから私を呼び寄せる、GRAVITYを振り切って、電車に駆け込む。それでもなお、茗荷谷から遠ざかる、電車の車体を透過してまで、レイフォースが私を呼ぶ声が聞こえる……!
 この半年間、丸ノ内線を利用していながら、レイフォースをやらずに帰った日は片手で足りる。私にとって帰りの丸ノ内線は、レイフォースへの思いを乗せて走っていたようなものだ。第17編成、やったよ、G.P.M.S.-2を越えられたよ。第22編成、今日はちょっと悔しかったな。02系、500形、今日はね、今日はね…… そう車両に話しかける思いが、今は、ない。寂しいよ――やめて「02524」、6月17日と同じVVVFの音は、悲しくなるから聞きたくないっ……!!
 今年の夏は終わらない――夏はまだ終わっていなくても、12月が終われば「今年」は終わってしまう事に、何故、今の今まで気が付かなかったんだろう……!!


 母のドタバタで、1週間ばかり茗荷谷のゲーセンに行けないでいたら、レイフォースの台の位置が1つ左に変わっていた。条件が悪くなった、蛍光灯が反射して、左上がひどく見にくい。それにもうじき、私はここに通えなくなる。――悲しいばっかりで、全然楽しめなくて、3面で終わってしまい、コンティニューもリターンマッチもしなかった。
 これは、もうお前はレイフォースをやるなという、潮時を示しているのだろうか。別れの悲しみを減らすために、突き放してくれているのだろうか。でも……
 「ああっ女神さまっ⑩」の中に、主人公が飼っていた犬を亡くして、もう犬は飼うまいと思った理由を語るシーンがある。「嫌なんだ/可愛がれば可愛がっただけ/存在が大きくなれば大きくなっただけ/失ったときの心の穴が大きくなるから」それを聞いた女神は、それだけの愛情を注がれた犬はきっと幸せだった、と前置きして、こう言うのだ。「別れのときの悲しみの大きさは、愛情の深さの証明なんですから――――/悲しみを恐れていたら/何も愛する事はできないわ」
 そう、私は、別れの時自分がどんなに悲しい思いをするか、一つも恐れずに、手加減なしにレイフォースを愛していた。こんな別れが来るなんて、一欠片たりとも考えもしないで。J&Bのレイフォース……お前は私に愛されて、幸せだった……? 私のこの辛い思いは、お前に注いだ愛情と、等しい重さなんだよね……!?