私がその少年に会ったのは、所用があって、街を早足で歩いている時だった。
「そこのお姉さーん、良かったら献血してってくれないかなぁ? 10分位で済むし、仲間を助けると思ってさ」
 そう私を呼び止めて、ビラを差し出したのは、胸に赤十字のワッペンを付けた、まだ中学生位の小さな少年。背後には、「GIVE BLOOD SAVE LIFE」と、献血のスローガンが大きく書かれたテント。
「……仲間助け?」
「うん。今戦争で、軍の人達が大勢怪我して、輸血用の血液が、いくらあっても足りないんだって。それに軍人さんって、若くて健康な人が多いから」
 彼が私に声を掛けたのは、私の服に、外惑星連合宇宙軍のエンブレムが、縫い取られていたからだと分かった。――その時私が着ていたのは、赤いパイロットスーツではなく、青一色の地味な作業服であったのだが。
 ……献血が出来そうな、“若くて健康な人” に見られたことに、複雑な思いを抱きながら、私はその場から立ち去ろうとした。
「ごめんね……今、ちょっと急いでるから」
「あ、それだったら、ビラだけでも持ってって。基地に帰ったら、皆で回覧してくれると嬉しいな。また来てねー!」
 笑顔で手を振った少年に背を向けて、再び歩き始めた私の胸に、もやのような不快感が立ち込める。――〈急いでる〉、何て陳腐な言い訳。でも、私が献血出来ない本当の理由なんて、口が裂けても言えるはずがない。最高機密をバラしたら、冗談抜きで首が飛ぶ。

 ……私は、脳と脊髄以外の全てを、機械に置き換えたサイボーグ。一見普通の人間に見えるこの身体には、血液は一滴たりとも流れてはいないのだから。

 この上ない非情さを表現する、「血も涙も無い」という言い回しを、遠い昔に考えた人は、実際に血も涙も持たない人間の現れることがあるなんて、想像もしていなかったのでしょうよね――
 自分が体のみならず、心まで「血も涙も無い」存在になってしまいたくなくて、ふと足を止め、せめてもの気持ちとして、少年がくれたビラに目を通す。……病人や怪我人を救うための、献血の必要性を切々と訴える文章の最後は、こんな文言で結ばれていた。
〈薬は人工的に造れても、血液は人工的に造ることができません。人の善意の献血だけが、人の尊い生命を救えるのです。〉
 人の生命を救う献血、か……私はもう、人にあげられる血液を、完全に失ってしまったというのに。
 ――いや、違う! 「失った」のではなく、「捧げた」のだ。「Con-Human」を破壊し、人類の生存を勝ち取る「希望の力(RAYFORCE)」となるために、私は血液だけでなく、生身の肉も骨も、総てを差し出したのだ。

 しかし――

「サイバネティクス・リンク・システム」。手足を一切使わず、脳を機動兵器に直接接続して行う操縦。肉体感覚と五感は、異形の機械のものとなり、人間であるという自覚さえも失わせる。仲間の一人は、精神錯乱の果てに自爆した。同じことが、いつ自分の身に降りかかってもおかしくない。
 私には、任務を達成するまで持ち堪えることが、出来るだろうか? 機械に取り込まれてもなお、自分をしっかりと支える何かが、何かが必要なのだ――それは……?
 不安な思いで立ち尽くす、私の遠い背後で、少年はまだビラ配りを続けている。
「献血にご協力お願い――あっ!!」
 その時彼は、大きな音を立てて転んだ。それを聞いた瞬間、私の身体はビクッと硬直した――そこに、人間の耳では聞き取れない、微かな機械音が交ざっていたのを、聴覚センサーが捉えたから。
(――まさかっ!?)
 つい私は振り向いて、視覚センサーを索敵モードに切り換え、少年の身体を透視してしまった。
(義足――――!!)
 同じ“機械の身体を持つ者” が、そこに倒れている。反射的に身体が動いていた。道行く人を、「どいてッ!!」と、電光石火で押し退けて、彼の許へ駆け寄り、抱き起こす。
「大丈夫っ!? その……義足(あし)
 少年は、意外さと嬉しさが半々の目で私を見つめる。
「……何で分かったの? 自分じゃ結構使いこなせてるつもりだったんだけどなー」
「どうして――…」
「敵の攻撃から逃げ遅れて……。でも、輸血のお蔭で、命だけは助かったんだ。けど、輸血してもらった人は、もう献血してあげることが出来ないんだって――だから僕は、こうやってビラを配ることで、恩返しをさせてもらってるの。――この機械の足を、もっともっと使いこなして、出来る限り多くの人を、今度は僕が助けるんだ!」

《――――!!》

 そうだ、足が機械になってしまっても、こうして、人を助ける手伝いをすることが出来る……ならば、はるかに大きな機械の力を得た、私の成すべきことは――!!
 〈人の善意だけが、人の生命を救える〉。身体や五感がどこまで機械化されようとも、大丈夫なはずだ、「人を救う」という人の心を、強い意志を、見失いさえしなければ……!
 泣きたかった。けれど涙は出せなかった。溢れ出す想いを、せめて腕へと込めて、私は、何よりも大切なことを教えてくれた少年を、力一杯抱き締めた。
「ごめんね、今献血してあげられなくてごめんね……! だけど私達が、君みたいに怪我をする人の出ない世界に、必ず、必ずして見せるからね……!!」
「本当!? 約束……してくれる?」
「――ええ」
 おずおずと差し出された少年の小指に、躊躇うことなく自分の小指を絡ませる。
 皮膚のセンサーから感じられる、彼の熱い血潮に誓う――

(この命だけは絶対に救う、たとえ私の精神が壊れようとも、私の生命と引き換えにしようとも)

「――ありがとう!!」
 私の手を握り締め、飛び跳ねて喜んだ少年の、金色の瞳は、宇宙の常闇を照らし続ける太陽のように、力強く光り輝いていた。
 

〈END〉

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