96年夏、ゲーセンに華々しく「レイストーム」が登場した。
 その陰で、前作である「レイフォース」のほとんどが、入れ替わりに姿を消した。
 私がただ一つ愛せたこのゲームについて、今だからこそ語りたい。
 
 弟が縦 STG をやっているのを見て、何故空中物と地上物の両方を同時にショットで撃てるのか、どうしても納得がいかなかった。地上物に重なっただけで撃破できた日にゃあ、どんなに上手いこと描き込んであったって立体感ゼロだ! そう思っていた私の前にレイフォースが現れたのは、94年春のことだった。明瞭な対地対空の区別、さらに対地攻撃手段・ロックオンレーザーの軌跡は、この上なく美麗ときた! 「これだ――っ!!」
 
 もう一つ、STG の BGM というと、アップテンポの情景描写的なものが大部分だが、このゲームの曲は、非常に心理描写的だった――そこにパイロットの「彼女」の想いがある、と感じた。それを自ら体験するために、プレイしてみたくなったのだ。
 
 実はそれまで、私はゲームというものをやったことがなかった。体育は2で通した私の反射神経で、まともにゲームなどやれる訳がないと思っていたからだ。しかしレイフォースを始めてみると、1面で終わってもまたやる気になれた。要は今まで、本気でゲームを好きになろうとはしなかっただけだったのだ。
 
 客観的にはかなりの高難度ゲームだったらしい。「初めてでレイフォースでは大変ですね」と、何人もに気の毒がられた。けれど私はそれを不運とは思わなかった。難しさを上回る、プレイしていての楽しさと展開の良さを、確かにこのゲームは持っていたから。
 
 先の面へ、本星の中心核へと、私は突き進んだ。何十回、いや何百回とゲーセンに通い、家の都合でゲーセンに通えなくなったときには基板を買った←そこまでするか!←するんだよ!! 何があっても諦めるもんか。「彼女」の想いの総てを知るまでは……!!
 
 私がようやくその高みにたどり着けたときには、やり始めてから実に1年10ヵ月が経過していた。
 
 悲願であったゲーセンでの1コインクリアを果たしたとき、エンディングの曲に、至福の想いが身体中に満ちた。……この溢れ出す喜びは、クリアできたっていう私一人だけのものじゃない……! 結末が「彼女」の死だと知っているのに、どうして――!?
 
 そのとき分かった――このゲームは「高難度でなければならなかった」のだと。
 
 それでも「彼女」は幸せだったのだと伝えるために、任務完了の達成感を分かち合わせるために、このゲームは、これ程までに厳しい試練を、プレイヤーに課したのだ。
 
 ……それで力尽きたかのように、右腕が壊れた。腕を酷使するワープロオペレーターである限り、私にはもはや、ゲームをやり込むことは無理なのだと知った。
 
 一生に、ただ一度だけ許されていた、ゲームを愛し抜けた奇跡。その対象として、星の数ほどあるゲームの中から、たった一つレイフォースを選び取ったことを、一欠片たりとも後悔していない。それだけの価値のある最高傑作だったと、固く信じている。不幸にもゲーセンで出会えなかった人には、サターンへの移植版である「レイヤーセクション」を、ぜひプレイしてもらいたい。ただ、私個人としては、会える時間が限られているアーケードだからこそ、ゲーセンにゲームが存在していた「時代」とともに、より強い思い出を残すのだ、というようにも思える。
 
 もう本当に、手の届かない闇の彼方へ行ってしまった「彼女」の許へ、2年分の想いを込めて、感謝の言葉を飛ばそう――
 
〈貴女と共に生きられた時間が、他の何より一等輝いていたよ〉……と。
 

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